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きむら けんたろう 木村賢太郎
1928年東京に生まれる。1952年東京芸術大学彫金科卒業。1955年第5回モダンアート展で新人賞受賞、今日の新人展(神奈川県立近代美術館)で大原美術館児島虎次郎記念賞受賞、60年第4回現代日本美術展優秀賞受賞。1965年第8回日本国際美術展最優秀賞受賞、67年第1回インド・トリエンナーレ展で金の楯グランプリ受賞、74年第5回中原悌二郎優秀賞受賞、76年長野市野外彫刻賞受賞。1955年のモダンアート展への木村の出品こそが、戦後日本の彫刻界における新しい世代の登場といってよいだろう。石彫による抽象形態は、当時の彫刻の世界にあってはたいへんに斬新なものであった。歴史を内包する石と現代を象徴する抽象形態のもつ生命感が融和した個性的な作風で、木村は新しい空間を演出したといえる。
カテゴリー:作家
キスリングとは?【 作家名 】 ポーランド、クラクフに生まれる。同地の美術アカデミーで学んだ後、1910年パリに出てモンマルトルに住み、エコール・ド・パリの代表的作家となる。モディリアニ、シャガール、スーチン、ピカソ、ブラックや、詩人マックス・ジャコブらと親しく交わる。第一次世界大戦では、外人部隊に志願するが、重傷を負い、兵役を解かれてスペインで療養する。1916年フランス国籍を得る。キュビスムからも影響を受けるが、ドランからの影響が最も大きい。第二次世界大戦の際アメリカに亡命するが1946年フランスに戻る。肖像や裸婦、静物(特に花)などを多く描いたが、特に異国的情緒の漂う裸婦が有名である。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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