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さいけでりっく・あーと サイケデリック・アート
サイケデリックというのは、幻覚剤を服用したときに起きる心理的な恍惚状態のことを指し、この幻覚的な陶酔状態を音楽や美術、服飾などによって表現したものをサイケデリック・アートという。よってサイケ調芸術、幻覚芸術ともいわれ、幻覚症状を引き起こす麻薬の一種であるリゼルギン酸ジエチルアミド(LSD)の名からLSDアートといわれることもある。このサイケデリック・アートは、1960年代の半ばに、ニューヨークに発し、若い世代を中心として世界的に一時的流行をみた。これは同じ時代のヒッピー文化と重なって、社会問題にまでなり注目された。常態では到達できない幻覚状態の体験をもとに、幻視や幻聴などの感覚を活かした、陶酔的な表現が特色となっており、デザインや絵画のみならず、キネティック・アートやライト・アート、写真、映像などにその特色を見出すことができる。感覚の追体験をねらったような作品も多くつくられた。
カテゴリー:美術用語
アンリ・リヴィエールとは?【 作家名 】 パリの下層階級の息子として生まれたリヴィエールは、ほとんど正規の教育を受けず、複製版画の彫版師として身を立てている。1884年までにエッチングを学んだことは、青インクで刷られた作品が何点か残されていることから分かる。1880年代半ばにトゥールーズ=ロートレック、スタンラン、ジョルジュ・オリオール、ウジェーヌ・グラッセらがいたロドルフ・サリのカフェ「シャ・ノワール(黒猫)」のサークルに入った。当時ジャポニスムはそのサークル内でも大変盛んで、カフェ・コンセールで上演した影絵芝居「中国人の影」のセットを作るため、リヴィエールは日本の影絵を研究した。1888年、日本風の多色刷板目木版を始め、全て自刻によって広重や北斎の作品を思わせる連作を制作した。二つの連作木版画集『ブルターニュ風景』(40点 1888−94年)、『海』(6点 1890−92年)を完成した後、さらに板目木版の版画集の制作が予定されていたにもかかわらず、その後多色刷石版画に切り換えた。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録) |
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