![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
しらかばは 白樺派
明治・大正期の日本文学の一派、あるいは雑誌『白樺』に参加して活躍した文学者、美術家の総称。『白樺』は学習院の同窓生である武者小路実篤、志賀直哉、里見淳、児島喜久雄、柳宗悦らの3つの文学グループが合併し、有馬武郎、有馬生馬らが合流して、1910年4月創刊、自我の尊重を主張して文学界に新風を送り込んだ。この雑誌は文学雑誌であるが毎号ルネッサンスから後期印象派にいたる広範な美術作品の図版を掲載し、数次にわたる美術展覧会を開催するなどヨーロッパ美術の紹介に力を注いだ。特に後期印象派の日本への移植は『白樺』の精力的な紹介をぬきにしては考えられず、やがてフュウザン会をはじめとする新しい絵画を生みだした。1923年関東大震災を契機に廃刊した。
カテゴリー:美術用語
狩野養信とは?【 作家名 】 1796年木挽町狩野家八代狩野伊川院栄信の長男として生まれる。1846年没する。名は、養信(はじめ「たけのぶ」、のちに「おさのぶ」)。通称庄三郎。最初は玉川としていたが、のちに清川院、会心斎とも号した。文政2年(1819)法眼。文政11年(1828)家督を継承。天保4年(1833)法印となった。天保10年(1839)、弘化2年(1845)にそれぞれ完成した、江戸城西の丸御殿、本丸御殿の再建に際する障壁画制作の中心となった。また、模写事業をすすめ、室町漢画や中国絵画、初期狩野派など多くの模写を残した。そのなかには、大和絵や沈南蘋など狩野派の伝統とは異なった模写も残されている。養信は、明治の東京画壇で活躍した狩野芳崖、橋本雅邦の師としても知られている。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||