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こしみず すすむ 小清水漸
1944年愛媛県宇和島に生まれる。1970年多摩美術大学彫刻科中退。1972年第3回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で宇部市野外彫刻美術館賞受賞、80年第11回中原悌二郎賞優秀賞受賞、81年第10回平櫛田中賞受賞。1983年現代美術の新世代展(三重県立美術館)で岡田文化財団賞受賞、85年第11回現代日本彫刻展で東京国立近代美術館賞受賞。1987年第12回現代日本彫刻展で毎日新聞社賞受賞、88年第38回芸術選奨新人賞受賞。多摩美術大学に在学中より、木、石、土、鉄などの素材を用いて、素材の物質としての有りように注目して素材にアプローチし、空間に提示した。素材に手を加えた行為に観者を引き込むのである。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ブリュッケとは?【 美術用語 】 1905年、ドレスデンでキルヒナー、シュミット=ロットルフ、エーリッヒ・ヘッケルらの表現主義的傾向の若いドイツ人画家たちによって創設された団体。1906年にはノルデ、ペヒシュタインが参加している。1910年には、ノルデの作品がヅェツェッシォーンに出品拒否をされたのをきっかけに、自由出品制の展覧会のための新しいグループを作り、「新分離派」と名のりベルリンに移動した。1912年には「青騎士」展に参加したりするが、1913年キルヒナーの書いた文章から意見の相違が生じ、分裂・解散した。「橋」を意味するグループ名は、彼らの作品が未来の芸術への架け橋になってほしいという願いからつけられたものであるが、その信条、目標は明確にされず、既成の古い力に対する反抗に重点がおかれ、ドイツにおける表現主義運動をつくった。このグループの仕事の中では、版画、とくに木版画の復興が評価され、二次元的平面性と、白と黒の対比による力づよい精神表現の可能性を追求し、高めた意義は大きいものがあった。 |
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