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はどそん りう゛ぁーは ハドソン・リヴァー派
19世紀に、主としてハドソン川流域の渓谷や、東部諸州のさまざまな美しい土地の風景を描いたアメリカの画派。トマス・ダウディー、アッシャー・ブラウン・デュランド、トマス・コール、ジョン・F・ケンセットらを中心とし、1840〜60年代に展開され75年頃まで続いた。これらの画家たちは、アメリカが独立し、独自の歩みを始めた中で生まれたアメリカの国民的プライド、国民的視野から、旧世界とはまったく異った自分らの広大な大陸を解釈する道を手探りで求め、それを風景に対する新しい態度で示した。内容的には、自然を神の宿るものとして写実的に描くというロマン主義的な内容の追求を行い、あたかも一本一本の枝、一枚一枚の木の葉の淡々とした即物的な描写が、人影もまばらな大陸の、圧倒的な広大さに対する保証を与えてくれるかのように、新世界の原初的な荒野を細心な筆致で記録している。
カテゴリー:美術用語
戸張孤雁とは?【 作家名 】 1882年東京に生まれる。1901年洋画研究のため渡米し、06年に帰国する。1910年太平洋画会研究所彫塑部に入門し、同年第4回文展に「をなご」を出品する。1916年再興第3回院展に「ムスメ」「若き男の像」他を出品する。1917年には日本美術院同人となる。1927年東京で死去。アメリカで苦学をしながら、洋画、デッサンを学んでいた戸張は、ニューヨークのナショナル・アカデミーで荻原守衛と知り合ったことで、彫刻家への道を進むことになる。ロダンの作品からも多大な影響を受け、生命感にあふれた大胆なデフォルマシォンを特徴とする象徴性の高い作品を制作した。また版画家としても活躍し、1919年には山本鼎、織田一磨らと日本創作版画協会を創立し、「創作版画と版画のつくり方」を刊行した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) |
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