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びでお あーと ビデオ・アート
1963年ナムジュン・パイクは、ヨーゼス・ボイスの共演を得た「音楽展−エレクトロニックTV」と題するテレビを使ったパフォーマンスを行った。ビデオ・カメラやVTRを使ったものではなく“テレビ・アート”と言えるものであったが、これがビデオ・アートの始まりとされている。以後、1965年に白黒オープン・リール式のポータブルVTRと小型カメラが発売されたのをはじめ、カラー化、テープのカセット化などビデオ・システムの技術革新にともなって、様々な作品が生み出されている。映像を特殊処理し視覚効果に訴えるもの、カメラのリアル・タイムの映像を使ったパフォーマンス的なもの、ドキュメンタリーの要素を利用する作品、コンピュータ・グラフィックスによる作品など多様である。ホーム・ビデオの分野からも新しい発想の作品が現れている。
カテゴリー:美術用語
鏑木清方とは?【 作家名 】 1878年東京都神田に生まれる。1972年鎌倉市で没する。本名は健一。明治時代の戯作者条野採菊の子として生れ、13歳で水野年方に師事、挿絵画家として明治風俗を情緒ゆたかに描いた。富岡永洗(1864−1905)や梶田半古の影響も受け、日本美術院や烏合会などで認められたが、文展開設以後は官展に出品した。金鈴社を結成、官展に新風をもたらした。帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員となり、昭和29年(1954年)には文化勲章を受けた。明治の面影に限りない郷愁をよせ、文学的教養と都会的感覚によって、清新な芸術味ある風俗画を遺した。代表作は『筑地明石町』(1927)。文筆にも長じ、自叙伝『こしかたの記』(1961)、随筆集『続こしかたの記』(1967)などがある。 |
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