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ぽん たう゛ぇんは ポン・タヴェン派
19世紀の後半に、風景画家達がよく訪れていたフランスのブルターニュ地方にあるポン=タヴェンという小村に、1880年代の後半になって住みついた画家達のグループがあった。その中心人物はゴーギャンであり、彼は1886年、88年、89年、94年の4回にわたって当地を訪れている。そして実質的な立役者は若きエミール・ベルナールであった。印象主義の分析的な考え方に対して、彼らは総合主義を提唱し、クロワゾニズムの手法を用いた。つまり、太い輪郭線で平面を仕切り、平らで単純な色面を配置することによって画面をつくり上げることである。このような作風の彼らをポン=タヴェン派と呼ぶが、当地に集まった画家達を広く指すこともある。また、彼らはのちのナビ派と共に象徴主義としてとらえられており、より神秘的なルドン、モロー、クリムト、アンソールらの世紀末美術との関係も興味深い。ポン=タヴェン派の画家として、上記の2人の他にナビ派の代表者ポール・セリュジエや、アンリ・モレ、シャルル・ラヴェル、ルイ・アンクタンらの名を挙げることができる。
カテゴリー:美術用語
望月玉泉とは?【 作家名 】 京都に生まれる。祖父玉仙、父玉川ともに望月派を継ぐ画家で、父に学び、その没後家督を継いだ。本名重岑、字は主一、通称駿三。安政年間の御所再建に際して襖絵を制作。京都府画学校設立の運動に参加し、明治13年(1880)に同校が開設されると東宗(日本の写生画、大和絵など)の副教員となる。また、明治15年(1882)の第一回内国絵画共進会で褒状を得るなど、同展や内国勧業博覧会などで受賞を重ねた。明治22年(1889)パリ万国博覧会や同26年(1893)のシカゴ万国博覧会でも受賞。明治37年(1904)帝室技芸員となった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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