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ものは もの派
1960年代後半から70年代にかけて、日本で独自に展開した運動。土、石、木、鉄などの素材にあまり手を加えず、ほとんど直接的に提示する立体構成を行った一連の作家につけられた名称。1968年に関根伸夫が、公園の大地に円柱形の穴を堀り、その土を用いて同形の円柱を立てる「位相−大地」を発表し大きな衝激を与えた。やや遅れて、斎藤義重の影響下から、小清水漸、菅木志雄など多くの作家が輩出。理論的支柱となった季禹煥は、ハイデッガーの存在論などを参照しつつ、西欧近代批判を軸とした「世界−構造」理論等を積極的に発表し、菅木志雄は「もの」の放置の状態を問題とする理論を展開。一方、高山登と榎倉康二は、枕木、廃油、布、紙、コンクリート塊などの物質性を強調する作品を制作。彼ら「もの派」初期の仕事は、1960年代初頭に登場した田中信太郎、高松次郎や、一部の概念的傾向の作家にも影響を広げた。1980年代にも「もの派」抜きには考えられない作品が多く発表されており、戦後日本美術における重要な動向の一つといえよう。
カテゴリー:美術用語
ベラとは?【 作家名 】 ザイール南部にあるシャバ州の中心都市であるルブンバシ(旧エリザベトビル)は、銅やコバルトの産地として世界的に知られている。第二次世界大戦中にブラザビル(現コンゴの首都)で、軍務として現地の美術の保護に携わっていたブルターニュ出身のフランス人画家ピエール・ロマン=デフォッセが、チャド出身の従兵ベラを連れて、この地に入ったのは戦争末期のことであった。アフリカ人の芸術を保護、奨励することに深い関心を寄せていた彼は1944年、現地の人々を相手にしたアトリエ〈ル・アンガー〉を開設する。その最初のメンバーのひとりがベラであった。〈ル・アンガー〉では、デフォッセはただキャンバスと絵の具、それに場所だけを提供して、主題も構図も一切教えずに、もちろん西洋美術の画集に手を触れさせることもなく、もっぱら現地の人たちの自発性に委ねたといわれている。指先を使うベラの点描画法などは、実に個性的な手法であった。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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