![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
かほ あきら 下保昭
1927年富山県に生まれる。1949年青甲社に入り、西山翠嶂に師事する。翌1950年第6回日展に〈港が見える〉が初入選、以後毎年日展に出品し、54年の第10回日展で特選(白寿賞)を受賞、57年に再び特選(白寿賞)を、61年第4回新日展では菊華賞を受賞する。1962年審査員、63年には日展会員となり、67年第10回新日展では文部大臣賞を受賞。1970年日展評議員となる。日展の他にも、現代日本美術展、日本国際美術展、遊星会展、昭和世代日本画展などに作品を発表する。この間、日本各地に取材して墨色を生かした作品を制作。1982年には〈近江八景〉の連作が第14回日本芸術大賞を受ける。また、1983年より水墨によって中国桂林・黄山のシリーズを展開し、85年芸術選奨文部大臣賞を受賞。1988年日展を脱退し、個展を中心に作品を発表する。1990年MOA岡田茂吉賞を受賞。近年は再び日本の風景に取り組み、九州・島原の普賢岳などを描いている。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年)
カテゴリー:作家
ピカソとは?【 作家名 】 1881年スペインに生まれる。1973年没する。幼少時から卓越したデッサン力を示し、ダ・グァルダとバルセロナの美術学校でアカデミックな技法を学ぶ。1900年から04年までパリとバルセロナの間を往復し、04年からはパリの長屋、洗濯船(バトー・ラヴォワール)に住んでエコール・ド・パリの作家達と交わる。1902年頃から抒情的な青の時代に入り、続いてバラ色の時代を経て、07年に〈アヴィニヨンの娘たち〉を制作、ブラックとも出会う。キュビスムの幕開きであった。1918年頃から新古典主義的傾向に変わり、25年頃からはシュルレアリスムをとり入れる。1933年には雑誌『ミノトール』創刊に参加、37年にはスペインのフランコ政権に抗議して〈ゲルニカ〉を制作した。戦後は〈画家とモデル〉のシリーズや過去の巨匠に題材をとった作品も作り、また日記のように毎日大量の版画を制作した。彫刻、セラミック、舞台装飾、ポスターなどの分野にも手をひろげた。20世紀美術の最高峰の1人といえるだろう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||