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影シリーズ 海辺の黄色の花と影



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影シリーズ 海辺の黄色の花と影



影シリーズ ススキと影



影シリーズ 砂と影



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影シリーズ 都わすれと影



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子供と伯母

作家名:パウル・クレー
制作年:1937年
技 法:油彩 石膏、ジュート
パウル・クレー 「子供と伯母」

 もし、この絵に題名がなかったら、あなたならどんな情景を思い浮かべたでしょう。いま一度、先入観のない感想をたぐってみて下さい。クレーの線と色を、ひとつひとつ自分の目と手で確かめてみる体験を、この鑑賞シートは核にすえます。それは子ども向けにあつらえた絵の見方などでは決してなく、大人の私たちにこそ必要な鑑賞のスキルだと信じます。
 
 クレー晩年に描かれたこの大作は、優しい色あいが醸し出す柔らかな印象とともに、途切れがちに踊る線の刹那さ、うつむき加減の子どもが伝える寂しげなムード、そうした含みのある情感に満ちた作品です。
 背の高い着飾った風の婦人は、穏やかな表情です。視線をそらし気味の小さな子は、マントをはおっているのでしょうか、帽子を被っているようにも見えます。簡潔な線と形に、なんとなく登場人物の様子をイメージできるのではないでしょうか。けれども、説明のつきにくいところもあります。上の方に描かれたPのような形、渦巻き、ところどころ二人を横切る水平線、それによく見ると二人の顔や頭は輪郭が頼りなく開いて、空中に霧散していくかのようです。かと思えば、右上の方にはボツボツ穴のあいた、建物か、それとも壁。これが街の場面だと思った人もいるでしょうし、木々に囲まれた公園の散歩を思い浮かべる人もいるでしょう。
 抽象的に見えて、様々なイメージを喚起してやまない線の魅力は、クレーの生涯を通じたテーマといってよいものです。自然の描写に試行錯誤を重ね、人間の業をあぶり出すような人物素描を探求した後、クレーは色彩と抽象化の世界へと進みます。カンディンスキーマルクらが推し進めた表現主義から抽象絵画 * に至る動向に共感し、また一方では、あくまで現実の再構成を眼目としたキュビスムの絵画空間から重要なヒントを受け取りながら *、クレーは自己の芸術を慎重に確かめていきます。
 「芸術は見えるものを再現するのではなく」という有名なフレーズがあります。もはや写実的に描くことが全てではなくなった20世紀初頭の美術思潮を呼吸しつつ、しかしクレーはむしろ線と線から、森羅万象の詩をうたう道を選びました。「見えるようにする」と彼は続けます。児童画や古代美術に、簡潔さを手に入れるためのエッセンスを見出し、また古典音楽の技法になぞらえて色と形の構成を楽しみ、あくことなき素材への探求心は1点1点の物語にふさわしい技法を生み出していきました。
 彼の作品はどれも詩的なタイトルがつけられていて、またどの絵柄も、ことばとゆっくり響き合うような不思議な余韻を保っています。そのためでしょうか、多くの人がクレーの絵を、クレーの存在を詩にしています。谷川俊太郎の『クレーの絵本』や、さまざまな人の言葉を集めた『クレーの贈りもの』など、素敵な本が手に入ります。
 さて、クレーの絵画の探求は最晩年にいたって、象形文字を思わせるような、いっそう簡潔な線の表現へと向かいます。完熟期を迎えた50代のクレーを待っていたのは、独裁者による作品の没収、亡命、そして不治の病による制作の中断といった辛い運命でした。しかし最後のこの時期、クレーはおびただしい集中的な創作へと自らを鼓舞します。「子供と伯母」は、そのような激動の晩年にふと思い描かれた安らかな平穏の世界であり、またそこに、どことなく寂しげな影が感じられたとしても、ゆえのないこととは言えません。
 線と色が飛びかう様子に、木々のざわめきや楽器の練習を連想した子がいます。どこまでも高く積み木を積み上げよう、と物語を書いた子もいます。絶妙な線の引力によって垂直の空間を構成する、クレーの造形に寄りそった素晴らしい感想だと思います。子どもたちと一緒に、絵から生まれることばや情景に耳を傾けてみましょう。絵が動き出すような感覚を覚えるかも知れません。もし、あなたが抽象画は分からないと感じているなら、きっと素適な出会いがこの絵の中に待っていると思います。
 
註*
 
「子供と伯母」の題名
 原題は”kind und tante”。当館では「伯母」と訳しましたが、ドイツ語のtanteは日本語の「おばさん」同様、子どもが女性を親しんで呼ぶ言葉。
 
表現主義から抽象絵画へ
 印象派が科学的・客観的に光と色をとらえたのに対して、20世紀初頭のドイツ表現主義は感情や精神性を表すものとして色を対象から独立させます。自然の再現から絵画を解放したこの革命の後、完全な非対象絵画(=抽象画)の誕生まではほんの一歩でした。カンディンスキーはその歩みを自ら体現したといえます。
 
キュビスム
 遠近法の伝統をくつがえし、対象を多面的に分解、統合するキュビスムは、形態と構成の絵画革命といえます。ここでもまた、絵画にとっての再現性はあいまいなものとなり、自律した形と構成による表現へ道を開くことで、抽象画の発生にも豊かなヒントを与えます。キュビスムから出発しながら、色彩と音楽的なリズムを重視したドローネはフランスにおける抽象画の先駆者となります。クレーが共感したキュビスムとは、ドローネのそれでした。
 
参考
谷川俊太郎 『クレーの絵本』 講談社、1995年
クレーの贈りもの』 平凡社、2001年
『造形思考』 ユルグ・シュピラー編、土方定一ほか訳、新潮社、1973年、p.122


鑑賞シートno.4 - 世界の美術・クレーの線と色 「指導の手引き」より
2005年11月
徳島県立近代美術館 竹内利夫


カテゴリー:作品
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藤島武二とは?【 作家名 】

鹿児島県鹿児島市に生まれる。初めは日本画を志し郷里で修業。上京し明治18年(1885)川端玉章に入門する。しかし明治23年洋画に転じ、同郷の曽山幸彦の指導をうけ翌年には明治美術会の会員になる。その後山本芳翠らに学び、明治29年黒田清輝らの白馬会の結城に参加する。同年東京美術学校洋画科の助教授となる。黒田からは外光派描写の影響を受けるが、生来の浪漫的、装飾的な変質は変わらなかった。明治38年文部省の命で43年まで渡欧しアカデミズムを学び、帰国後は東京美術学校教授となる。その後は官展を中心に我が国洋画画壇の指導的な役割を担った。作風は帰国後の模索の時代を経て、東洋的な人物画を描く。大正8年(1919)帝展審査員、同13年には帝国美術院会員となる。昭和に入って3年(1928)には皇室から委嘱のあった作品の題材を求めて、日本各地は言うに及ばす、台湾、蒙古、満州と取材旅行して数々の風景を描いた。昭和9年には帝室技芸員、同12年には第1回の文化勲章を受章した。

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