![]() |
|||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||
|
さいとうとよさく 斎藤豊作
埼玉県に生まれる。1905年東京美術学校西洋画科選科を卒業。在学中黒田清輝に師事し、その関係から翌年フランスに留学するにあたって、黒田が学んだラファエル・コランに学ぶ。留学中コランに学びながらも、新印象派や後期印象派、フォーヴィスムなど、パリ画壇の新傾向にふれ、自由な制作活動に入る。1912年いったん帰国、同年の第1回光風会展に滞欧作を発表、翌年の第7回文展に新印象派風の傾向を強く打ち出した「夕映えの流」を出品する。同時期に帰国した山下新太郎らと文展を離れ、1914年二科会を結成、鑑査委員となる。1919年再度フランスに渡り、定住する。サント県のヴェネヴェルにて歿。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年)
カテゴリー:作家
ルオーとは?【 作家名 】 1871年フランスに生まれる。1958年没する。家具職人の家庭に育ち、最初ステンド・グラス職人の徒弟となり中世ステンド・グラスの修復にあたる。装飾美術学校の夜間コース、次いでエコール・デ・ボザールに学び、ドローネー、モローに師事する。1885年頃ユイスマンなど熱心なカトリック作家たちと出会い、キリスト教的世界への関心を深める。1903年頃から道化師、娼婦、富者と貧者、裁判官などの主題を青を基調とした荒々しい筆致で描くが、第一次世界大戦後はおだやかな作風に変り、やがて深みのある色彩と豊かなマティエールでキリストを描くようになる。晩年はさらに黄や緑などを基調としたバロック的な重厚さを備えた作風に変り、必ずしも伝統的な宗教画ではないが、長い探求の果てにたどりついた高度な宗教性を見せる。1914年以降画商ヴォラールと契約し、一時版画制作に専念する。 |
||