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食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


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 作家(1701)

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もりずみ ちかな

守住周魚

1859年徳島県に生まれる。1925年没する。住吉派の画家、守住貫魚の六女。守住勇魚は兄。本名はタイという。周魚は画号だが、鯛(タイ)の魚と周の字を分解してつけたという。幼いときから父に住吉派の手ほどきをうける。1880(明治13)年、父とともに大阪に出、以後生涯を同地で過ごした。父の貫魚は、勇魚が洋画を学んだため、娘の周魚を後継者としての望みをかけ、1885(明治18)年別家させた。父の作画の手伝いをしながら、展覧会にも積極的に出品し多くの賞を得た。1884(明治17)年、大阪絵画品評会、四等賞受賞。1886(明治19)年、東洋絵画共進会、三等褒状受賞、石川県私立絵画品評会、二等褒状受賞。1890(明治23)年、第三回内国勧業博覧会、褒状受賞、浪華学画会絵画共進会、銅印受賞。1892(明治25)、日本美術協会、褒状三等受賞。1897(明治30)年、日本美術協会大阪支部第二回美術展覧会、逸品褒賞受賞。1901(明治34)年、扶桑絵画協会、二等褒賞受賞。1903(明治36)年、東洋美術奨励会、特別賞受賞。1897(明治30)には、日本美術協会大阪支部の技芸員に嘱託されている。


カテゴリー:作家
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守住貫魚とは?【 作家名 】

1809年阿波(現徳島県)に生まれる。1892年没する。徳島藩士の子として生まれた。旧姓庄野。のちに守川、さらに住吉派を守る意味で守住と称した。字は士斎、通称徳次郎。伸美、輝美、定輝とも号した。別号に是姓斎、回春斎、寄生軒などがある。徳島藩の絵師で住吉派の渡辺広輝に学び、後に江戸で、住吉広定に師事。蜂須賀家に仕え、藩命で、畿内から北陸、信州、関東、さらに東海道を旅し、各地の風景を写生。また、江戸一橋徳川家御殿、京都御所紫寝殿の障壁画の制作に、住吉派の絵師として加わった。明治維新後は、大麻彦神社などの神官をつとめたが、大阪に移住。内国絵画共進会などで受賞を重ねるとともに、浪華画学校の設立に尽力した。明治宮殿造営に際しては、杉戸絵を制作し、明治23年(1890)帝室技芸員となった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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