![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
すだ こくた 須田剋太
埼玉県に生まれる。熊谷中学校を卒業後、川端画学校に学ぶ。1939年第3回文展で特選を受賞、翌年光風会会員となる。1941年奈良に移住、この年第4回文展で再度特選を受賞する。このころ長谷川三郎と出会い、造形と精神の両面にわたり大きな影響を受ける。1947年第3回日展で特選を受賞。1948年西宮市に移住、翌年国画会会員となり、63年ごろまで抽象絵画に取り組む。サンパウロ・ビエンナーレなどに出品するほか、1971年から週刊朝日に連載された司馬遼太郎の「街道をゆく」挿絵を描き、これより83年講談社出版文化賞を受賞。幼児の純粋な心から発する、生命の実体そのもののような造形を最上のものとし、探究する。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年)
カテゴリー:作家
エッチングとは?【 美術用語 】 版画技法。銅版画は、凹版を製版する技法によって直刻法と酸腐蝕法に大別できるが、これは後者の内で最も代表的なものである。エッチングの語源は「腐蝕」。まず銅板にグラウンド(防触剤)を均一にひき、ニードル等の鉄筆状のもので描画すると、描いた線の部分のみ銅板が露出される。これを酸にひたし、腐蝕時間によって線の深浅(太細)を調整する。そしてグラウンドを除去し、凹部にインキをつめ、プレス機で紙に刷り上げる。エッチングの特徴は、直刻法に比べて描画が容易であり、線の表情も腐蝕の深さによって自由に加減できることである。欧州では13世紀頃から金属細工師が腐蝕を用いて図案の線刻を行なっている。それを応用したエッチング版画の登場は16世紀初頭と考えられており、17世紀にはレンブラントを頂点として数多く制作された。日本では1931年、西田武雄によって専門誌『エッチング』が創刊され、日本の現代銅版画の創成期における、エッチングの研究・普及に大きな役割を果たした。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||