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すだ こくた 須田剋太
埼玉県に生まれる。熊谷中学校を卒業後、川端画学校に学ぶ。1939年第3回文展で特選を受賞、翌年光風会会員となる。1941年奈良に移住、この年第4回文展で再度特選を受賞する。このころ長谷川三郎と出会い、造形と精神の両面にわたり大きな影響を受ける。1947年第3回日展で特選を受賞。1948年西宮市に移住、翌年国画会会員となり、63年ごろまで抽象絵画に取り組む。サンパウロ・ビエンナーレなどに出品するほか、1971年から週刊朝日に連載された司馬遼太郎の「街道をゆく」挿絵を描き、これより83年講談社出版文化賞を受賞。幼児の純粋な心から発する、生命の実体そのもののような造形を最上のものとし、探究する。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年)
カテゴリー:作家
ドラクロワとは?【 作家名 】 フランス・ロマン主義の代表的画家。幼少よりデッサンと音楽の才能を発揮し、17歳の時、古典主義画家ゲランのアトリエに入る。同門にジェリコーがいた。この頃ゴヤ、ルーベンスなどの作品を模写し、ダンテ、シェークスピア、バイロンなどの文学作品から主題をとって創作をした。ドラクロワの芸術の特質は色彩の鮮やかさと感情の表出にあり、彼の革命的な仕事が近代絵画への道を開き、印象派の絵画を導くことになった。代表作に《民衆を導く自由の女神》《サルダナパールの死》(共にルーヴル美術館)など。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年) |
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