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もりむら やすまさ 森村泰昌
1951年大阪府に生まれる。1978年京都市立芸術大学を卒業。1980年代前半から関西を中心に活動をはじめる。1980年代半ばから、美術史上の名作に自分自身の肖像を組み込んだ作品を発表し、近年はイメージスキャナーなども利用する。国内での個展やグループ展のほか、ヴェネチア・ビエンナーレ・アペルト’88(1988年)、アゲインスト・ネイチャー(1989年サンフランシスコ近代美術館ほか)、キャビネット・オブ・ザ・サインズ(1991年テート・ギャラリーほか)など数多くの国際展に出品する。1991年ニューヨークのルーリング・オーガスティン・ギャラリーで個展、92年シカゴ現代美術館で個展オプション44が開かれる。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年)
カテゴリー:作家
分離派とは?【 美術用語 】 ラテン語の動詞SECEDO(分離する)を語源としたヅェツェッシォーン。「分離派」と訳されている。19世紀末以降、ドイツ・オーストリアの各地では、既存の保守的・閉鎖的な芸術家協会等の機構のなかでは自由に発表活動ができない、発表の場が与えられていないと考えた、進歩的な芸術家たちが、官営事業化している展覧会とは別に、彼ら自身の協会や展覧会組織を持とうとし、相次いで新しく芸術家集団を結成した。「ヅェツェッシォーン(分離派)」とは、こうして結成されたグループにつけられた名称である。最初の創設は、1892年にシュトゥック、トリュブナーらを指導者としたミュンヘン分離派である。1897年には、クリムトを会長とするウィーン分離派が、1898年に、リーバーマンの指導のもとにベルリン分離派が成立した。ベルリン分離派は、「ブリュッケ」のメンバーを含む表現主義作家の出品拒否が原因で、1910年に再び分裂、新分離派が結成され、その最盛期をむかえた。分離派には特定の様式・理念はないが、建築・デザイン史からは、近代運動のひとつとみなされることもある。 |
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