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ほりぐち たいぞう

堀口泰造

東京都に生まれる。1933年本郷中学校を卒業。支那事変に従軍。敗戦後ソ連で仰留生活を送る。1949年復員、画家を志す。1961年彫刻家菅沼五郎に師事、1966年二紀会彫刻部同人となり、69年スペイン、モロッコを旅行、「カルメン・シリーズ」を発表する。1970年、二紀会会員となり、75年第29回二紀展で文部大臣賞を受賞する。1977年二紀会を退会。個展を開催するほか、1980年第1回高村光太郎大賞展に出品し、優秀賞を受賞する。はじめ物語的な主題をもった彫刻やレリーフを中心に制作するが、近年は、物語性を排除し、フォルムの純粋な造型美に着目した作品を制作する。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年)


カテゴリー:作家
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高村光太郎とは?【 作家名 】

1883年高村光雲の長男として、東京に生まれる。1902年東京美術学校彫刻科を卒業し、研究科に残り、05年には西洋画科に移る。1906年渡米し、アートスチューデンツ・リーグに学ぶ。このころ荻原守衛を知る。1909年にはロンドン、パリを経て帰国し、岸田劉生らとフューザン会を結成する。1914年長沼智恵子と結婚。このころより彫刻に専念する。1916年「ロダンの言葉」翻訳刊行。1945年空襲によりアトリエを焼失し、岩手県花巻に疎開する。1947年帝国美術院会員に推挙されるが辞退。1953年記念碑「みちのく」が十和田湖畔に完成する。同年日本芸術院会員に推挙されるが辞退。1956年東京の中西利雄のアトリエで死去。彫刻家、画家、詩人であり、また評論家としても活躍した光太郎は、西洋の美術理論・思想を翻訳して日本に紹介し、日本の近代美術の理論面を支える役割を果たした。ロダンが制作した数多くの手や腕が完成作のための一部分であったのに対し、光太郎はそれだけで完結した作品とみなしていた。「手」は仏像の手印に興味を持っていたころの作品で、自分の手を見ながら作ったといわれている。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)

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