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あきやま ゆうとくたいし 秋山祐徳太子
1935年東京都に生まれる。1959年武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)彫刻科を卒業する。1965年の「岐阜アンデパンダン」展をはじめとして、以後、数多くのグループ展に参加。1978年、東京都美術館における「現代風刺画展」、84年「岐阜アンデパンダン・アート・フェスティバル−20年後の動向」展、86年ポンピドゥーセンター(パリ)における「前衛の日本」展、89年宮城県美術館における「美術の国の人形たち」展など。また、1973年の「虚ろな将軍たち」展にはじまる個展は、以後もほとんど毎年のように開催されている。1960年代をハプニングで駆けぬけた秋山は、70年代からブリキを主な素材として彫刻をつくり始めた。その身近な素材で、将軍や貴族、英雄などを生み出して、従来の彫刻のもつイメージを大きく変えたのである。また1975年、79年の都知事選への立候補は、秋山の作家歴の中でもとりわけ人々の記憶に残るもので、その強烈な個性を人々の脳裡に刻み込んだといえる。
カテゴリー:作家
戸張孤雁とは?【 作家名 】 1882年東京に生まれる。1901年洋画研究のため渡米し、06年に帰国する。1910年太平洋画会研究所彫塑部に入門し、同年第4回文展に「をなご」を出品する。1916年再興第3回院展に「ムスメ」「若き男の像」他を出品する。1917年には日本美術院同人となる。1927年東京で死去。アメリカで苦学をしながら、洋画、デッサンを学んでいた戸張は、ニューヨークのナショナル・アカデミーで荻原守衛と知り合ったことで、彫刻家への道を進むことになる。ロダンの作品からも多大な影響を受け、生命感にあふれた大胆なデフォルマシォンを特徴とする象徴性の高い作品を制作した。また版画家としても活躍し、1919年には山本鼎、織田一磨らと日本創作版画協会を創立し、「創作版画と版画のつくり方」を刊行した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) |
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