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いのうえ ちょうざぶろう 井上長三郎
1906年兵庫県に生まれる。1995年没する。1908年両親とともに大連に渡り、17歳までこの地に育つ。1923年単身東京に渡り、太平洋画会研究所に学ぶ。1926年から二科展、27年から1930年協会展に出品し、29年1930年協会奨励賞を受賞する。1931年からは独立展に出品し、同年独立美術協会賞を受賞、35年会員となる。1938年パリに渡り、グランド・ショミエール・ラ・コロラッシュに学ぶ。1940年帰国。この年独立美術協会を脱会し、美術文化協会会員となり、43年には新人画会の結成に参加する。戦後は1947年以降自由美術家協会に参加し、その中心的な作家として活躍するほか、日本国際美術展、日本アンデパンダン展、平和美術展などに出品する。独特の社会風刺と、情感を削除した重厚な画風で知られる。
カテゴリー:作家
ロラーとは?【 作家名 】 ウィーン美術アカデミーでクリスティアン・グリーペンケールに師事。1897年、ウィーン分離派の創設に参加。「ヴェル・サクルム」第7号から編集に参加。第1〜7号の扉絵のほか、多数の挿絵を描く。また、シュレフォークト展のポスターおよび雪山登山鉄道のポスターの文字は、モダンなレタリングの出発点となる。1899年、ウィーン工芸美術学校教授。1899年から1903年、ウィーン分離派展の一連のポスターを制作。第14回展「クリンガー/ベートーベン特別展」には、カタログデザインのほか、「歌う夜」も出品。1905年、クリムト・グループと共にウィーン分離派を脱退。1897年から1907年、ウィーン宮廷オペラ劇場でグスタフ・マーラーの指導の間、舞台監督を務める。舞台作りに斬新なアイデアを駆使、特にリヒャルト・シュトラウス作のオペラの初演には型破りの舞台を作る。また、マックス・ラインハルトのためにも働く。クンストシャウには舞台設計(特にフーゴー・フォン・ホフマンシュタールの「オディプスとスフィンクス」等)で参加。1909年、ウィーン工芸美術学校校長。ウィーン工房ではヨーゼフ・ホフマンに協力。1918年、ウィーン宮廷オペラ劇場の舞台監督。 |
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