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トゥリュシェ



トゥルノン



『トゥールーズ新聞』のためのポスター



籐椅子に掛ける裸婦



桃蹊仙境図



東郷青児



冬真山水



東條七郎



踏青



投扇



灯台



東方朔図



透明な巨人たち



東洋のタバコ「ナジャ」



通り



時の設計



常盤御前雪行



徳岡神泉



TOKUSHIMA HONSEN -川原康孝氏へのオマージュ



徳島の子どもたち


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いのうえ ちょうざぶろう

井上長三郎

1906年兵庫県に生まれる。1995年没する。1908年両親とともに大連に渡り、17歳までこの地に育つ。1923年単身東京に渡り、太平洋画会研究所に学ぶ。1926年から二科展、27年から1930年協会展に出品し、29年1930年協会奨励賞を受賞する。1931年からは独立展に出品し、同年独立美術協会賞を受賞、35年会員となる。1938年パリに渡り、グランド・ショミエール・ラ・コロラッシュに学ぶ。1940年帰国。この年独立美術協会を脱会し、美術文化協会会員となり、43年には新人画会の結成に参加する。戦後は1947年以降自由美術家協会に参加し、その中心的な作家として活躍するほか、日本国際美術展、日本アンデパンダン展、平和美術展などに出品する。独特の社会風刺と、情感を削除した重厚な画風で知られる。


カテゴリー:作家
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川端玉章とは?【 作家名 】

京都に蒔絵師の子として生まれる。幼名龍之助。晩年は璋翁と号した。はじめ、父から蒔絵の手ほどきを受けるが、中島来章に師事し円山派を学んだ。慶応2年(1866)江戸に出て、覗眼鏡の興行などを経た後、高橋由一五姓田義松とともにワーグマンから洋画を学ぶ。そして、油絵具で屏風を描いたこともあったという。明治10年(1877)第一回内国勧業博覧会以降、受賞を重ね、第一回、第二回内国絵画共進会では、受賞作がフェノロサから評価を受ける。明治21年(1888)から、円山派を代表する画家として、東京美術学校で後進の指導にあたった。シカゴ万国博覧会に出品。日本青年絵画協会の結成に尽力した他、川端画学校校長、帝室技芸員、文展での審査員などを歴任した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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