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こばやし こう 小林孔
1927年栃木県に生まれる。多摩造形美術学校を経て、1953年東京芸術大学美術学部油画科を卒業する。1954年からモダンアート展に出品し、61年会友、64年会員となる。1961年から62年にかけてメキシコに滞在、シケイロスに師事し壁画の研究にあたる。毎年のように個展を開催するほか、1975年からサロン・ドトンヌに出品し、83年会員となる。1986年徳島大学教育学部教授、87年総合科学部教授となり、後進の指導にあたる。1992年徳島大学退官記念展を徳島県立近代美術館ギャラリー、徳島県立21世紀館多目的ホールで開催する。鮮やかな色彩を駆使し、直線的なブラッシングを強調した叙情的な抽象作品を描く。
カテゴリー:作家
ブラックモンとは?【 作家名 】 パリに生まれたブラックモンは、日本美術の影響を受けた最初の西欧の芸術家と考えられている。鳥と花が描かれた版画の劇的な構図の効果や、ルソーの食器セット(1866年)のデザインに、ジャポニスムの影響が現れており、おおむね北斎の絵本類から着想を得たものである。ジャングラール協会という日本美術の研究を唱道する芸術家、批評家の集団の創立メンバーとして1860年代半ば頃、毎月会合を開き、フィリップ・ビュルティ、ザカリ・アストリュック、アンリ・ファンタン=ラトゥール、ジュール・ジャックマール、M・L・ソロン、アルフォンス・イルシュらと日本美術について語りあった。1874年に日本の多色刷木版画を真似た最初の多色刷エッチングを制作した。多くの画家や版画家との交友を通して日本美術の喧に努め、テオドール・ルソー、オーギュスト・ルペール、アルベール・ベナールら多くの画家にエッチングを教えた。1889年、アンリ・ゲラールやフィリップ・ビュルティと共に画家=版画家協会年次展覧会創立に貢献した。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録) |
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