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たろうちえぞう 太郎千恵蔵
1962年東京都に生まれる。1984年ニューヨーク大学映画学科を卒業する。1991年アラン・ジョーンズのキュレーションによる見えない身体展(ニューヨーク、レンパイア ギャラリー)に出品、また同年11月のホテル48時間展(ニューヨーク、オフ・ソーホー ホテル)で、首のない子供服のロボットのかたちの作品を初めて発表する。1992−93年ジェフリー・ダイチのキュレーションによるポスト・ヒューマン展(アメリカ、スイス、イタリア、ギリシャ、ドイツ、イスラエルを巡回)に出品し、評判をとる。1993年ヴェネチアビエンナーレ展に出品。1994年ザ・デイアフター・トゥモロー展(センター・カルチャー・オブ・ベーレム現代美術館 リスボン、ポルトガル)に出品。1992年以降、白石コンテンポラリーアート(東京)やサンドラ・ゲーリング ギャラリー(ニューヨーク)などで個展を開催。
カテゴリー:作家
伊上凡骨とは?【 作家名 】 1875年徳島市中常三島に生まれる。1933年没する。本名は、純三(蔵)徳島高等小学校卒業後、17歳の年に上京し、木版画の彫刻大倉半兵衛に師事する。はじめは伝統的な版木の彫刻技術を学ぶが、やがて洋画の複雑な筆触や色彩を木版で再現することに熱中する。1902年雑誌『美術新報』のために三宅克己の水彩画に版木に仕立てのを皮切りに『明星』『白樺』などの雑誌の挿絵やカットを制作する。伊上の技術は当時神技とさえうたわれ、明治から大正にかけてこの道の第一人者であった。凡骨の雅号は与謝野鉄幹の命名による。 |
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