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たろうちえぞう 太郎千恵蔵
1962年東京都に生まれる。1984年ニューヨーク大学映画学科を卒業する。1991年アラン・ジョーンズのキュレーションによる見えない身体展(ニューヨーク、レンパイア ギャラリー)に出品、また同年11月のホテル48時間展(ニューヨーク、オフ・ソーホー ホテル)で、首のない子供服のロボットのかたちの作品を初めて発表する。1992−93年ジェフリー・ダイチのキュレーションによるポスト・ヒューマン展(アメリカ、スイス、イタリア、ギリシャ、ドイツ、イスラエルを巡回)に出品し、評判をとる。1993年ヴェネチアビエンナーレ展に出品。1994年ザ・デイアフター・トゥモロー展(センター・カルチャー・オブ・ベーレム現代美術館 リスボン、ポルトガル)に出品。1992年以降、白石コンテンポラリーアート(東京)やサンドラ・ゲーリング ギャラリー(ニューヨーク)などで個展を開催。
カテゴリー:作家
帝展とは?【 美術用語 】 文部大臣の管理下に設けられた帝国美術院によって、1919年から35年まで開催された美術展覧会。1907年から文部省美術展覧会(文展)が開かれたが、次第に二科会、日本美術院、国画創作協会など在野の有力団体の活動が活発化したのに対して、文展にはアカデミズムの弊害が目立つようになった。その対応策として文展創設以来審査にあたってきた老練作家を帝国美術院会員とし、比較的若い世代を審査員に起用することで今までの文展に活気を吹き込もうとした。この改革は一定の成果をあげたが、1935年在野有力作家の吸収を目的として文相松田源治によって帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。 |
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