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こばやし けいせい 小林敬生
1944年島根県に生まれる。1968年インターナショナルデザイン研究所(現インターアクト美術学校)を修了し、大阪でグラフィックデザインの会社に勤務する。この年東京に移り、1969年から洋画家宮永岳彦に師事する。1970年日本版画協会展に出品、以後毎年出品する。同年より1978年まで国画会展に出品する。1976年の第7回版画グランプリ展に、初めて木口木版による作品を出品し、以後木口木版画を中心に発表。1978年第2回現代日本版画大賞展で優秀賞、79年第10回版画グランプリ展で優秀賞、82年第2回ソウル国際ミニチュア版画ビエンナーレ展でグランプリなど、数多く受賞している。1985年の〈蘇生の刻〉シリーズ以降、作品が大型化し、木口木版としては異例の巨大木版画を発表している。1981年日本版画協会の会員となり、86年から多摩美術大学で、また89年から福岡教育大学でも非常勤講師として勤めている。2006年に紫綬褒章を受章。
カテゴリー:作家
マイヨールとは?【 作家名 】 1861年フランスに生まれる。1944年没する。画家を志望して1885年パリのエコール・デ・ボザールに入学するが授業に失望して退学。ゴーギャンの芸術から影響を受け、ナビ派のグループと交わるとともにタピストリーに興味を持つが視力の減退から彫刻に専念。1902年ヴォラールの店で最初の個展を開き、黒人彫刻に霊感を受けた出品作品がロダンに賞賛された後、1905年のサロンに出品した〈地中海〉で評価を一般的なものとした。以降活発な制作活動を続け、1937年のパリ万国博覧会の会期中、プティ・パレの展覧会で3室の特別室が設けられた。晩年には絵画の制作にも力を入れるが、1944年自動車事故で死亡。死後ルーヴル宮の庭園に18点の彫像が設置され、1985年にはパリにマイヨール美術館が開設されている。明快単純な構成と平滑な肉付けによって表現された人物像は、ギリシア・アルカイック期の生命感とフランス近代の感性を統合したものと言われている。 |
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