ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


影シリーズ 海辺の黄色の花と影



影シリーズ 海辺の葉と影



影シリーズ ススキと影



影シリーズ 砂と影



影シリーズ 菜の花と影I



影シリーズ 都わすれと影



影シリーズ れんげと影



影シリーズ れんげと影



影シリーズ 石と影



影シリーズ 右近の葉と影



影シリーズ 海辺の黄色の花と影



影シリーズ ススキと影



影シリーズ 砂と影



影シリーズ 菜の花と影I



影シリーズ 浜辺の葉と影



影シリーズ 都わすれと影



影の自画像



過去も未来もない中心 I



過去も未来もない中心 II



かご


<前 (32/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


ばんどう としお

板東敏雄

1895年徳島県に生まれる。1973年没する。本名は保。大阪商船会社に勤務する父親の転勤に従って各地に移り住み、宮崎県で中学校を卒業する。1913年上京、川端画学校に学ぶ。1918年の第12回帝展、翌年の第1回文展、1920年の第2回文展等に出品するが、1922年フランスに渡る。モンパルナスに住んで、エコール・ド・パリの作家たちと交友するほか、留学中の日本人画家の組織である「巴里日本美術協会」の主要メンバーの一人として活躍する。サロン・ドトンヌ、サロン・デ・ザンデパンダン、サロン・デ・テュルリーなどに出品し、日本的な情緒と甘美さをたたえた独特な画風でパリ画壇の注目を集めた。


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

クリムトとは?【 作家名 】

1862年ウィーンに生まれる。1876年に奨学金を得てオーストリア芸術産業美術館付属の工芸学校に入学、7年間同校に学ぶ。1883年、弟エルンスト、同窓のF.マッチュと共に美術家協会を設立し、ブルク劇場やウィーン美術史美術館など多くの装飾画を手掛ける。この時期の作品はいまだアカデミックな画風で描かれており、ブルク劇場のフレスコ画の制作によって勲章を授けられたが、1897年にウィーン分離派を結成し、その初代会長となると、アール・ヌーヴォー様式を大幅に取り入れた独自の様式を成熟させていった。1903年にはウィーン工房の設立に協力し、翌年、ブリュッセルのストックレー邸の食堂のためにモザイクのフリーズを制作し始める。この間、ウィーン大学の壁画やマックス・クリンガー展のための《ベートーヴェン・フリーズ》が賛否の渦を巻き起こす。1905年分離派を脱退し、翌年オーストリア美術家連盟を結成、1908年の「クンストシャウ」に出品した《接吻》が国家買上げとなる。第9回ベネチア・ビエンナーレ(1910年)で「クリムトの部屋」が設けられたり、1911年のローマ国際美術展で最優秀賞を獲得したりするなど、ヨーロッパ美術界で重きをなしていった。1917年、ウィーンとミュンヒェンの造形芸術アカデミークリムトを名誉会員に迎る。1918年ウィーンで歿。(「ホフマンウィーン工房展」図録 1996年)

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

クリムト

キーワードを含む記事
54件見つかりました。

  ヨーゼフ・マリア・アウヒェンターラー

  「アレゴリー 新シリーズ」

  フェルディナント・アンドリ

  「アート・リバイバル・イン・オーストリア」

  ウィーン工房

  「ウィーン工房年鑑」

  ウィーン分離派のための蔵書票

  オットー・ヴァーグナー

  ヨーゼフ・エンゲルハルト

  エミール・オルリク

  「女たち」

  「オーストリア造形芸術家協会(分離派)−〈ゼツェッシオン〉−年報第1号」

  「オーストリアのポスター芸術」



  壁紙のデザイン

  グスタフ・クリムト

  マキシミリアン(マックス)・クルツヴァイル

  「グスタフ・クリムト」

  「グスタフ・クリムト」

  「グスタフ・クリムトの作品」


<前   次>

徳島県立近代美術館2006