![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ばんどう としお 板東敏雄
1895年徳島県に生まれる。1973年没する。本名は保。大阪商船会社に勤務する父親の転勤に従って各地に移り住み、宮崎県で中学校を卒業する。1913年上京、川端画学校に学ぶ。1918年の第12回帝展、翌年の第1回文展、1920年の第2回文展等に出品するが、1922年フランスに渡る。モンパルナスに住んで、エコール・ド・パリの作家たちと交友するほか、留学中の日本人画家の組織である「巴里日本美術協会」の主要メンバーの一人として活躍する。サロン・ドトンヌ、サロン・デ・ザンデパンダン、サロン・デ・テュルリーなどに出品し、日本的な情緒と甘美さをたたえた独特な画風でパリ画壇の注目を集めた。
カテゴリー:作家
マルケとは?【 作家名 】 1875年フランスに生まれる。1947年没する。パリのエコール・デ・ボザールで、マティスとともにギュスターヴ・モローの教室に学ぶ。1901年アンデパンダン展に出品後、03年のサロン・ドトンヌ設立に参加する。1905年のサロン・ドトンヌでは、マティスやドラン、ヴラマンクらの作品とともに第七室に展示され、それらの作品は批評家ルイ・ヴォークセルによって「野獣たち(レ・フォーヴ)」と揶揄される。フォーヴィスムをになった一人だが、激しさよりも調和を重んじ、海景やパリの街を俯瞰的に描くことを好んだ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||