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いしはら ともあき 石原友明
1959年大阪府に生まれる。1984年京都市立芸術大学大学院修了。大学在学中より関西を中心に様々な展覧会に出品する。主な個展としてギャラリー白(83年、84年)、信濃橋画廊(85年、86年、88年−91年)がある。グループ展としては「イエス・アート」(ギャラリー白、82年の第1回から第3回まで連続出品)、「アート・ナウ’85」、「アート・ナウ’86」(ともに兵庫県立近代美術館)、「滋賀アニュアル’87−主張する人体」(滋賀県立近代美術館)、87年の「現代美術になった写真」(栃木県立美術館)、91年の「マニエラの交叉点−版画と映像表現の現在」(町田市立国際版画美術館)、92年の「彫刻の遠心力」(国立国際美術館)などがある。近年では「ヴェネツィア・ビエンナーレ・アペルト’88」(ヴェニス、イタリア)、89年の「MESSAGE AND COMMUNICATION」(清楠美術館 ソウル、韓国)、91年の「THREE NEW INSTALATIONS(マットレスファクトリー ピッツパーグ、アメリカ)などの海外展にも出品している。
カテゴリー:作家
バウハウスとは?【 美術用語 】 1920年代のドイツで近代デザインの中心地となった建築と応用美術のための学校。デザインと工業技術の間に橋をかける重要な役割をはたした。1933年にナチスの圧力で解散してから教授陣と学生が各地に移住したため、バウハウスの理念は多くの国々に広められ、1930年代と40年代における近代主義のシンボルともいえる存在となった。バウハウスの創設は、1919年に、旧ヴァイマール美術アカデミーとヴァイマール美術工芸学校がグロピウスによりひとつにまとめられたことに始まる。グロピウスの最初の思想は、すべてを包含する近代的で構成的な芸術を実現して、モニュメンタルな要素と装飾的な要素の分離をなくそうとするものであったが、さらに1923年には、工業的大量生産用のデザインを行う工芸家が重要であるとした。このため、バウハウスは産業界と密接に関係を持ち、多くの製品を生み出した。その特徴は非個人的で幾何学的で厳格なことであり、むだを省き素材を研究し、洗練された形を持っており、ヨーロッパの建築・応用美術に大きな影響を与えた。 |
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