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とくしまのこどもたち 徳島の子どもたち
国際こども平和壁画展は、こどもたちが平和のメッセージを込めた大きな壁画(ピカソの「ゲルニカ」と同じサイズ)を制作しそれが世界をリレーしながら巡回してゆくものです。徳島展はアメリカのフロリダ州で制作された壁画を引き継ぎ世界で2番目、日本では1番目の会場です。本展は、日米のこどもたちの美術表現を通じて、異なった文化的背景を理解し、戦後50年という節目にこどもたちが発信した平和への願いを感じとっていただける絶好の機会となるでしょう。
カテゴリー:作家
脂派とは?【 美術用語 】 一般に明治美術会系の画家の画面が脂っぽい印象を与えることから、世間がこの系統の作家と作品を揶揄して用いた名称。紫派と呼ばれる黒田清輝を中心として形成された外光派との対比で用いられた。ほかに旧派、北派、変則派とも呼ぶ。1893年ラファエル・コランにサロン風の外光描写を学んだ黒田が帰国するまで、日本の画家は外光描写を知らず褐色を基調として明暗のコントラストを鳶色あるいは黒で表現したため、画面は暗く脂っぽいものとならざるを得なかった。それに対して明るく感覚的な黒田の外光表現は清新な感動をもって若い画家に迎えられ、やがて当時唯一の官展であった文部省美術展(文展)の画風を支配していった。ジャーナリズムは両者の対立を脂派と紫派の抗争とあおったが脂派は画壇の片隅に追いやられていった。 |
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