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たにぐち くんび 谷口董美
1909年に徳島県三好郡辻町(現在の井川町)に生まれる。1964年没する。旧制徳島中学校を卒業後、小学校の教師を勧めるかたわら木版画の制作に没頭し、新版画集団や九州版画などの研究会に参加していた。一方では地元の仲間たちと美術グループをつくり、展覧会も開いた。1939年には両親の反対を押し切って上京し、恩地孝四郎の指導を受けた。翌年からは日本版画協会展に出品し、後に会友となっている。戦後は徳島に戻り徳島県展や四国洋画展で受賞し、四国中央美術協会や制作新樹社の結成に参加するなど、徳島を舞台に華々しい活躍を見せた。病のため55歳で死去。
カテゴリー:作家
ダリとは?【 作家名 】 1904年スペインに生まれる。1989年没する。1921年マドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーに入るが、突飛な行動を繰り返し、26年には退学処分となる。はじめは未来派やキュビスムに興味を持ったが、そのうちに、デ・キリコやとりわけフロイトの『夢判断』に強烈な影響を受ける。そして自ら「偏執狂的批判的方法」を発見し、精密な写実と幻想とを結びつける独自の様式を生み出した。1927年にはパリに行きピカソと知り合った。1929年から30年には友人ブニュエルと〈アンダルシアの犬〉等の映画を作る。1929年パリの個展によってシュルレアリスムの一員に加えられるが、34年、ブルトンとの不仲から除名される。第二次世界大戦中の1940年にアメリカに亡命し、名声を得る。1948年にはスペインに戻り、版画や宝石デザインなどの分野でも活躍、商業的な成功も得た。スキャンダラスなその生涯は、彼の評価を分けてはいるが、ある意味で今後のシュルレアリスムの存続を考える上での鍵を握る人物の1人であるといえよう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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