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こもと あきら 小本章
1935年東京都に生まれる。1958年岐阜大学美術工芸科を卒業し、62年東京教育大学芸術学科構成デザイン研修生を修了する。1971年から講談社フェーマス・スクールズにインストラクターとして勤務し、81年アメリカ政府給費研修員として研修旅行に参加する。内外の展覧会に出品し、1965年、66年シェル美術賞展佳作賞、80年日本グラフィック展フォトグラフィ部門特選、83年現代日本美術展神奈川県立近代美術館賞などを受賞。1981年「日本の現代美術」展(プラハ)、83年「現代美術における写真」展(東京国立近代美術館、京都国立近代美術館)などに作品が展示される。1981年ヴラツラフ市立写真美術館(ポーランド)で個展を開催する。写真を使って自然の風景とオブジェや現場でのスケッチなどを組みあわせた作品を制作、自然と描かれた色彩が同質化した作品は美術の新しい表現方法の1つとして注目される。
カテゴリー:作家
藤田嗣治とは?【 作家名 】 1886年東京都に生まれる。1968年没する。(スイス、チューリヒ)。1910年東京美術学校西洋画科を卒業する。1913年フランスに渡り、ピカソやモディリアーニらと交友する。乳白色のなめらかな絵膚に線描する独自の画風を創り出し、1919年サロン・ドトンヌの会員、2年後に審査員に推挙されるなど、一躍エコール・ド・パリの寵児となる。1929年一時帰国したあと、1930年から33年にかけてパリを足場に中南米各地で制作、39年から40年にかけて再度フランスに渡る。その間1934年二科会会員、41年帝国芸術院会員となり、43年朝日文化賞を受賞する。戦後は1949年アメリカを経てフランスに渡り、55年フランスに帰化、57年レジオン・ドヌール勲章を受賞、59年ベルギー王立アカデミー会員となる。1959年カトリックの洗礼をうけてレオナルド・フジタと改名、晩年はフランスのノートル=ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂の設計、壁画制作に没頭する。(「ピカソと日本」図録 1990年) |
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