ぐるぐるアートワード
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ぐるぐるもくじ


女の胸像(回顧された)



女の館(徳島会場不出品)



オーヴァーストリート



オーギュスト=ガブリエル・ゴドフロワの肖像(独楽をまわす少年)



「オーストリア造形芸術家協会(分離派)−〈ゼツェッシオン〉−年報第1号」



「オーストリアの月々の絵」



「オーストリアのポスター芸術」



「オーストリア・ハンガリー帝国印刷局 1804-1904」



オートゥイュ鉄橋より−『エッフェル塔三十六景』のための習作



オート・ビオグラフィー



オートマティスム



海景−「聖クレア」シリーズより



回顧作品その2−ピンポン・ルーム, 1960−



海藻



階段をおりる裸体 No.2



甲斐庄楠音



海浜遠望



海浜風物図



解剖学



買物帰りの女[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]


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いまにし ちゅうつう

今西中通

1908年高知県高岡郡窪川町に生まれる。1947年没する。本名忠通。昭和2年(1927)画家を志し上京し川端画学校にはいる。のち、1930年協会研究所および独立美術研究所において、前田寛治里見勝蔵らの教えを受けた。昭和6年第1回展出品以来独立美術協会で作品を発表。昭和11年第5回展でD氏賞を受賞し、翌年会友となる。その後も、新聞社のカットを描きながら、セザンヌの影響を感じさせる作品を描く。昭和15年長野蓼科に転地療養、翌年からは姉の嫁ぎ先の香川県坂出市に移り療養する。昭和20年高松市が空襲で消失したときには救援で市内にはいり、その状況を描いている。同年の終戦後には、友人の絵画研究所設立の要請のため福岡に移る。昭和22年独立美術協会会員となるが、病状が悪化し同地で死去した。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年)


カテゴリー:作家
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フォートリエとは?【 作家名 】

1898年フランスに生まれる。1964年没する。1909年イギリスへ渡り、12年にロンドンのロイヤル・アカデミーに入って美術を勉強するが、中退する。1917年には兵役につき、第1次世界大戦終了を機に1920年パリに戻る。写実的な絵を描いていたが、1928年初めての抽象的な絵を描く。第2次世界大戦中は対独抵抗運動の中心人物となり、1940年にはパリの郊外に隠れて〈人質〉のシリーズを制作する。パレット・ナイフによって念入りに厚く塗り重ねた淡い色彩によって、既製の形に頼らず、絵画のマチエールの自発的な働きをつむぎ出すようなその作品は、アンフォルメルの源流となっている。アメリカの抽象表現主義に与えた影響も少なくない。1943年と45年には、パリ、ドルーアン画廊で〈人質〉展を開く。1957年にはハンガリー動乱をもとに〈パルチザン〉を発表する。1959年には来日して南画廊で個展を開く。1960年にはベネチア・ビエンナーレで大賞を受賞した。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)

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