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いけだ こそん 池田孤邨
1801年越後(現新潟県)水原に生まれる。1866年没する。名は三信、三辰、字は周二。自然菴、蓮庵、煉心窟、画戦軒、松軒などと号す。若くして江戸に出て、酒井抱一に入門。一門のなかで、其一とともに中心的役割をはたした。晩年には、中国絵画も学んでいる。抱一の『光琳百図』にならって『新選光琳百図』を著す。また、書画の鑑定に優れ、『抱一聖人真蹟鏡』を刊行するなど、抱一の鑑定でも役割を果たしている。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作家
ルネサンスとは?【 美術用語 】 15〜16世紀のヨーロッパの美術史上の様式と時期区分。とくにイタリア美術史上でいう。「ルネサンス」という言葉は、もともと、ヴァザーリが著書『美術家列伝』(1550年初版)の中で初めて用いた美術の“復活”=イタリア語でリナシータに由来し、それが1840年頃にルネサンスとフランス語に訳され用いられている。ヴァザーリは、およそ13世紀後半以降のイタリアの美術家の中にローマ帝国とともに没落していた美術の復活を認め、時代区分としてルネサンスとしたが、これは同時に古代との間に中世の概念を設定したものであった。今日通説の画期としては、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂円蓋起工の1420年より1500年までを初期、1500年〜1520−30年を盛期としている。初期にはフィレンツェ、盛期にはローマが中心となっている。自然と古代とを柱とする人文主義的造形活動を特色とし、美術理論が追求され、また美術作品の世俗化も行われ、メディチ家などの地方君主による美術の流派が形成された時代である。 |
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