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いしかわ たいろう 石川大浪
1765年生まれる。1817年没する。幕府大番組の組頭をつとめた旗本。名は乗加、通称甲吉、字は啓行。後に、七左衛門と改名。大浪の号は、南アメリカのテーブル・マウンテンのことで、中国での表記である大浪山からとった。オランダ語のTafel Berg(テーブル・マウンテンの意)を署名に用い、その訳である机山も号とした。前野良沢、大槻玄沢、杉田玄白、谷文晁、木村蒹葭堂らと交友し洋風画を描いている。玄沢や玄白、杉田立卿ら蘭学者の著作や翻訳書に挿図を描いている。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
カテゴリー:作家
渡辺崋山とは?【 作家名 】 江戸の三河田原藩邸に生まれる。名は定静。字は伯登、子安。幼名は源之助あるいは虎之助。通称を登という。華山と号するが、35歳以後崋山と称した。はじめ狩野派の白川芝山に、ついで谷文晁門下の金子金陵に師事。後に文晁の門に入った。初期は、沈南蘋の影響を受けたが、西洋画法を取り入れた写生表現の他、文晁を受け継ぐように古画を模写し、多様な流派の表現を試みて、自己の表現のなかに溶かし込んでいった。田原藩年寄、江戸留守居役などの藩務をこなしながら蘭学にも関心を強め、高野長英らと研究会「尚歯会」を組織。蛮社の獄で、著作が政事誹謗の罪に問われ、国元蟄居を命じられるうちに自刃した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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