![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
きくち ようさい 菊池容斎
幕府の先手与力河原武吉の子として、江戸下谷に生まれる。名は武保、通称量平。雲水無盡庵、雲笠翁などとも号した。伯父の養子として菊池家を継承。狩野派、南蘋風の画を描いた高田圓乗に師事。狩野派、円山四条派、浮世絵などの他、中国絵画や西洋画法も学んだ。一方で、有職故実を研究し、『前賢故実』10巻を出版。歴史考証にもとづく歴史画を描き評価を得た。明治9年(1876)のフィラデルフィア万国博覧会や翌年の第一回内国勧業博覧会で受賞。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作家
石井柏亭とは?【 作家名 】 1882年東京都に生まれる。父は日本画家の石井鼎湖。父の指導により早くから日本画を修業し、日本美術協会展などに出品。1894年、神田の共立中学校に入学するが翌年退学し、石川欽一郎らの影響で水彩画を学ぶ。1898年浅井忠の門下に入り、明治美術会に参加。1904年中央新聞社に勤め、東京美術学校西洋画科選科に入学。1907年上京し、森田恒友らと雑誌『方寸』を創刊。1910〜1912年渡欧。1913年、丸山晩霞らと日本水彩画会を創立、翌年二科会を創立。1935年帝国美術会員となって二科会を退会、翌年一水会を結成。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||