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しのだ もりお 篠田守男
1931年東京都に生まれる。1953年青山学院大学英米文学科を中退後、独学に近い形で彫刻を始め、55年から作品を発表し始める。1963年から64年にかけて、シカゴ・アート・インスティチュートに留学する。1965年には第1回現代日本彫刻展で神奈川県立近代美術館賞を受賞、66年には第9回高村光太郎賞を受賞、同年のヴェネチア・ビエンナーレ、翌67年のグッゲンハイム国際彫刻展に、それぞれ出品する。また、1968年から70年にかけて、カリフォルニア大学の、70年からはロサンゼルス市立大学の客員教授を勤める。初期から、抽象的な形態を針金で宙に吊るす金属彫刻を作り続ける。彼の作品は、自らがテンション(緊張)とコンプレッション(圧縮)と呼ぶモチーフに基づいている。彼は、サーカスの網渡りにその発想を得たという。その作品を見る者は、危なっかしい均衡の上に、奇妙で不思議な空間が創出しているのを感じることができるだろう。1975年には第2回箱根彫刻の森美術館大賞展で大賞を受賞した。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
鈴木松年とは?【 作家名 】 京都に鈴木百年の長男として生まれる。通称百太郎。百僊と号したが、のちに松年と改号。東錦僂主人、老龍館主人の別号がある。父に学ぶ。明治13年(1880)京都府画学校に出仕。翌年、百年の後任で北宗科教員となった。第一回内国絵画共進会で褒状を得たのをはじめ、同展で、銀章、妙技三等など受賞を重ね、また、内国勧業博覧会、日本美術協会展、新古美術品展、シカゴやパリの万国博覧会などで活躍した。初期の上村松園や土田麦僊が、一時、松年に学んでいる。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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