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ごせだほうりゅう 二世五姓田芳柳
下総国(現茨城県)に生まれる。旧姓倉持、本名子之吉。明治11年(1878)東京に出て、五姓田義松に師事。洋画を学び、2年後、義松の父芳柳の養嗣子となった。義松が留学のため渡仏した後は、ワーグマンや工部美術学校のサン・ジョヴァンニ、カペレッティに学んだ。明治14年(1881)、第二回内国勧業博覧会に出品。明治18年(1885)芳柳の号を継承。その後、第三回内国勧業博覧会で褒状を得たのをはじめ、明治美術会展や明治33年(1900)のパリ万国博覧会などに出品。パノラマ、ジオラマの制作にもたずさわった。文展の開設後は、歴史画などの依頼画を描くが、展覧会には出品しなかった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作家
ベラとは?【 作家名 】 ザイール南部にあるシャバ州の中心都市であるルブンバシ(旧エリザベトビル)は、銅やコバルトの産地として世界的に知られている。第二次世界大戦中にブラザビル(現コンゴの首都)で、軍務として現地の美術の保護に携わっていたブルターニュ出身のフランス人画家ピエール・ロマン=デフォッセが、チャド出身の従兵ベラを連れて、この地に入ったのは戦争末期のことであった。アフリカ人の芸術を保護、奨励することに深い関心を寄せていた彼は1944年、現地の人々を相手にしたアトリエ〈ル・アンガー〉を開設する。その最初のメンバーのひとりがベラであった。〈ル・アンガー〉では、デフォッセはただキャンバスと絵の具、それに場所だけを提供して、主題も構図も一切教えずに、もちろん西洋美術の画集に手を触れさせることもなく、もっぱら現地の人たちの自発性に委ねたといわれている。指先を使うベラの点描画法などは、実に個性的な手法であった。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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