![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
さかい どういつ 酒井道一
江戸に生まれる。山本素堂の次男。名は顕眞。鈴木其一の外孫にあたる。父と其一に琳派を学んだ。酒井鴬一の養子となり酒井姓を継ぎ、酒井抱一の画室からとった雨華庵四世と称する。明治以降、内国勧業博覧会、内国絵画共進会に出品し、明治15年(1882)の第一回内国絵画共進会、明治17年(1884)の第二回内国絵画共進会では褒状を得た。明治26年(1893)には、シカゴ万国博覧会に出品。日本美術協会会員、帝国絵画協会会員。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作家
ベルガーとは?【 作家名 】 1892年ウィーンに生まれる。1911年よりウィーン工芸学校在学。O.シュトルナートとJ.ホフマンに師事。ウィーン工房のためにテキスタイル、銀器をデザインした。同じく工房に参加していた、O.レンゲッテが1917年に編集したモード雑誌『婦人世界』のグラフィックに協力。ビミニ社のためのガラス器をデザインした。ウィーン市の建築計画に従事1920−36年、30本以上の映画のセットの仕事をし、代表的なものに1920年の「王子と乞食」、1923年の「デア・ユンゲ・メダルドウス」、1927年の「カフェ・エレクトリック」などがある。1936年からモスクワに移り、1981年同地で歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||