ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


アペル



阿房宮図



アマタシャ



雨田光平



網打つ人 - II



編革ひもシートのインスブルック・ローデルそり



編物をする羊飼いの女(羊飼いの女、大)



アムステルダム国立博物館1







雨のために



アメリカセイ



アメリカの風景



荒井寛方



洗い髪



荒川修作



荒木寛畝



荒木十畝



荒木高子



荒木珠奈






<前 (5/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


しのはら うしお

篠原有司男

1932年東京に生まれる。1958年東京芸術大学絵画科を卒業、同校在学時にアンフォルメルの洗礼を受ける。1957年から63年の読売アンデパンダン展に出品した廃物彫刻やボクシングペインティングで行為の意味を強調した。1960年吉村益信らとネオ・ダダイズム・オルガナイザーズを結成。1963年、同会やハイレッドセンター系の作家とグループSweet展を開催。この頃より、ポップ・アートへの傾斜を示し、ラウシェンバーグの有名な作品〈コカコーラ・プラン〉を参照したイミテーション・アートを発表。1965年シーガル風の石膏作品を発表した後、幕末期の浮世絵版画を下敷にした花魁シリーズを発表。これ以降ポリエステル樹指による立体作品、油彩、版画の制作を続けているが、反芸術志向と表現主義的な表現とが結合した作風は強烈である。1966年国立近代美術館の「現代美術の新世代」展に出品した後、69年ロックフェラー財団基金より奨学金を得て渡米し、段ボールを使ったオートバイの彫刻を発表するなど活躍を続けている。


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

ロースとは?【 作家名 】

12歳のとき、難聴になる。ライヒェンベルクの国立工芸学校の建築技術科、1890年から1893年、ドレスデンの工科大学で学ぶ。1893年から1896年、米国に滞在、1893年にはシカゴ万国博覧会を訪れる。H.サリヴァンと知り合う。1896年以降、ウィーンで建築家として働く。1897年以降多くの新聞雑誌の記事に、製品デザインと建築における、即物的な造形の基本理念を述べている。1898年、「ヴェル・サクルム」に、「ポチョムキン的な街」を発表する。1899年、質素で最新、機能的なデザインの最も初期の一例である、カフェ・ミュージアムの室内インテリアに携わる。同様に、彼が内装設計した「ケルントナー・バー」は、俗に「ロースバー」と呼ばれ、今日に至るまで大々的には変わることなく維持されている。彼の著述においては、装飾への彼自身の考え方に対しても、仲間たちに対してや名前の表記の仕方(彼は氏名を全て小文字で現す)に関しても、妥協を許されていない。1908年、講演「装飾と罪悪」では、彼の願望の一部分を現している。すなわち、合理化と余剰なもの−とりわけ装飾における−の放棄による、労働時間の短縮と、それによって得た自由な時間のことである。彼は幾何学的な装飾を、装飾の悪習と呼んでいる。1910年から1911年、ミヒャエーラープラッツにある邸宅の建築。これについては多く議論され、激しく拒絶されることになる。1912年から1914年、アドルフ・ロース建築学校が設立される。1921年、五十歳を祝して、仏で彼の著作物が蒐集された後、出版される。晩年、完全に耳が聞こえなくなり、1931年、重い神経症にかかる。自分の墓石の碑文には、「人類を無駄な労力から解放する・・・アドルフ・ロース」と刻むよう望んでいた。

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

ロース

キーワードを含む記事
11件見つかりました。

  機能主義

  キース I

  クリスマスのメニュー

  チャック・クロース

  グロースター港

  オスカー・ココシュカ

  スーパーリアリズム

  「ダス・アンデレ」

  ヨーゼフ・ホフマン

  マルタ/フィンガーペインティング

  アドルフ・ロース


<前   次>

徳島県立近代美術館2006