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しば こうかん 司馬江漢
江戸に生まれる。名は竣、字は君嶽、号は江漢といい、晩年には春波楼などと称した。はじめ狩野派に学ぶが、鈴木春信門下に入り、春重の名で浮世絵を描く。春信の急死後は、その偽作を制作するとともに、宗紫石から南蘋画風を学ぶ。安永年間(1772−1781)には、平賀源内や小田野直武の指導を得て、洋風画を描きはじめる。また、前野良沢に入門し、門下の蘭学者大槻玄沢の協力のもとで、日本初の腐食銅版画(エッチング)の制作に成功した。寛政年間(1789−1801)を中心に、活発な油彩画制作を行うとともに、銅版による『輿地全図』など多くの著作を発行し、西洋自然科学の紹介者として活躍。晩年は、隠遁生活のなかで、老荘思想や禅の影響を受け、水墨表現や日本風景を描いた。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作家
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カンディンスキーとは?【 作家名 】 1866年ロシアに生まれる。1944年没する。モスクワ大学で法律と国民経済学を研究したが、1896年ミュンヘンに移ってシュトゥックについて絵を学び、ユーゲントシュティール、印象主義、ロシア民芸の影響がつよい作品を制作した。1909年「新芸術家協会」を設立。翌年水彩画による最初の抽象画を制作。この頃『芸術における精神的なもの』を執筆。1912年『ブラウエ・ライター(青騎士)』誌を刊行。1914年ロシアに帰り、革命後モスクワ大学教授となる。1921年ドイツに戻り、1922年から33年までバウハウスで教鞭をとった。1933年パリに亡命。作風は、1910年代は激しい色と形による「ドラマティックな時代」、20年代は「コンポジション時代」から「円の時代」へと移行し、晩年は「具体芸術の時代」へと展開した。ミュンヘンのレンバッハ画廊、パリのポンピドゥ・センター、ニューヨークのグッゲンハイム美術館に主なコレクションがある。抽象絵画の創始者として、20世紀美術にかけがえのない足跡を残した。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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