![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
しばた ぜしん 柴田是真
江戸両国に生まれる。幼名亀太郎、後に順造。古満寛哉に蒔絵を学び、ついで円山派の鈴木南嶺に入門する。天保元年(1830)京都に行き、南嶺に紹介された四条派の岡本豊彦に師事。天保4年(1833)南嶺から是真の号をうけた。奈良や鎌倉の寺社が伝える宝物に触れ、またその修理を通して蒔絵、漆絵の技量を磨いた。明治維新後は、ウィーン、フィラデルフィア、パリで開催された万国博覧会や内国勧業博覧会、内国絵画共進会などで受賞を重ねた。明治12年(1879)龍池会の設立に尽力し、翌年帝室技芸員。明治24年(1891)には日本漆芸会の創立に参加した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作家
戸張孤雁とは?【 作家名 】 1882年東京に生まれる。1901年洋画研究のため渡米し、06年に帰国する。1910年太平洋画会研究所彫塑部に入門し、同年第4回文展に「をなご」を出品する。1916年再興第3回院展に「ムスメ」「若き男の像」他を出品する。1917年には日本美術院同人となる。1927年東京で死去。アメリカで苦学をしながら、洋画、デッサンを学んでいた戸張は、ニューヨークのナショナル・アカデミーで荻原守衛と知り合ったことで、彫刻家への道を進むことになる。ロダンの作品からも多大な影響を受け、生命感にあふれた大胆なデフォルマシォンを特徴とする象徴性の高い作品を制作した。また版画家としても活躍し、1919年には山本鼎、織田一磨らと日本創作版画協会を創立し、「創作版画と版画のつくり方」を刊行した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||