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しのみや きんいち 四宮金一
1938年香川県に生まれる。1964年に第8回シェル美術賞展佳作賞、65年には香川県展第30回記念賞、68年には四国現代美術展大賞を受賞する。1977年には奨学金を受けてニューヨークに渡り、ブルックリン・ミュージアム・アート・スクールに学ぶ。1982年には日本国際美術展大賞、同年、エンバ美術賞展、国立国際美術館賞、84年には日仏現代美術展大賞、85年にはジャパン・エンバ大賞を受賞した。彼が描く空間は、変形キャンバスと、歪曲された遠近法によってその方向感覚が失われてしまっている。また、まるで紙の端がめくれ上がったような表現は、虚構性を強調しており、陰影表現にしても、どちらが実物でどちらがシルエットなのかあいまいである。それは単なる視覚的な遊びではなく、実在と非実在の葛藤が、無機的な様相をとって、現れたものなのである。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
脂派とは?【 美術用語 】 一般に明治美術会系の画家の画面が脂っぽい印象を与えることから、世間がこの系統の作家と作品を揶揄して用いた名称。紫派と呼ばれる黒田清輝を中心として形成された外光派との対比で用いられた。ほかに旧派、北派、変則派とも呼ぶ。1893年ラファエル・コランにサロン風の外光描写を学んだ黒田が帰国するまで、日本の画家は外光描写を知らず褐色を基調として明暗のコントラストを鳶色あるいは黒で表現したため、画面は暗く脂っぽいものとならざるを得なかった。それに対して明るく感覚的な黒田の外光表現は清新な感動をもって若い画家に迎えられ、やがて当時唯一の官展であった文部省美術展(文展)の画風を支配していった。ジャーナリズムは両者の対立を脂派と紫派の抗争とあおったが脂派は画壇の片隅に追いやられていった。 |
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