ぐるぐるアートワード
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ぐるぐるもくじ


丸山晩霞



円山四条派



マレーヴィッチ



マンシオン



マンドリンを弾くジプシー女(歌手クリスティーナ・ニルソン)



マンドリンを持つピエロ



「マン・レイ 売れないものたち」展 アルフォンス・シャーヴ画廊



マン・レイ ジュリエット マルセル・ゼルビブ カフェ・ドゥマゴにて



『マン・レイ』 ジョルジュ・リブモン−デセーニュ著



マン・レイ(手・光線)



「マン・レイ」展 ハノーヴァー画廊



「マン・レイ」展 メイヤー画廊



「マン・レイ」展 リーヴ・ドロワット(右岸)画廊



「マン・レイ 発明家・画家・詩人」展 文化センター ニューヨーク



「マン・レイ 非・抽象」展 エトワール・セレ画廊



「マン・レイ 目立たずにつづけるべきこと」展 ビル・コプリー画廊



『マン・レイ写真集 1920-1934 パリ』 ジェームズ・スロール・ソビー編



マン・レイと彼のエマク・バキア ソラリゼーション



「マン・レイの絵と島々のオブジェ」展 シュルレアリスム画廊



「マン・レイの写真作品」展 国立図書館


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 作家(1701)

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とみおか てっさい

富岡鉄斎


京都に法衣商十一屋伝兵衛、富岡維叙の次男として生まれる。はじめ、猷輔を通称とし、のちに道昴、道節と称した。一時、鉄斎を名としたが、百練を戸籍上の名とし、字を無倦、号を鉄斎とした。別号は多い。幼い頃より、国学、儒学、詩文、陽明学や仏教など、幅の広い学問を修めた。20歳頃には、歌人の大田垣蓮月の学僕となっている。絵は、大角南耕に手ほどきを受けるが、小田海僊や浮田一●(いっけい)らを訪ねたり、長崎で木下逸雲らと交流し、明清絵画にも触れるなど、主に独学で修行をはじめた。明治維新後は、奈良の石山神社や大阪の大鳥神社などの神官をつとめながら、「万巻の書を読み万里の路をゆく」文人生活をおくり、全国を行脚。46歳のとき京都に居を定めた。以後、89歳で亡くなるまで、文人生活を貫きながら制作を続け、明清絵画、南画を軸に、大和絵、琳派、浮世絵など日本絵画の多様な表現を、自己の表現のなかに取り込んでいった。さらに晩年期は、明治末、大正期の新しい気風にも反応して、それらを融合した独自の表現をつくりだした。明治19年(1886)京都青年絵画研究所の品評員となるなど、展覧会の審査員をつとめるが、学者としての立場から出品はしなかった。大正6年(1917)帝室技芸員、大正8年(1919)帝国美術院会員となった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)


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けんさくけっか

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徳島県立近代美術館2006