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影シリーズ 海辺の黄色の花と影



影シリーズ 海辺の葉と影



影シリーズ ススキと影



影シリーズ 砂と影



影シリーズ 菜の花と影I



影シリーズ 都わすれと影



影シリーズ れんげと影



影シリーズ れんげと影



影シリーズ 石と影



影シリーズ 右近の葉と影



影シリーズ 海辺の黄色の花と影



影シリーズ ススキと影



影シリーズ 砂と影



影シリーズ 菜の花と影I



影シリーズ 浜辺の葉と影



影シリーズ 都わすれと影



影の自画像



過去も未来もない中心 I



過去も未来もない中心 II



かご


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 作家(1701)

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とみおか てっさい

富岡鉄斎

京都に法衣商十一屋伝兵衛、富岡維叙の次男として生まれる。はじめ、猷輔を通称とし、のちに道昴、道節と称した。一時、鉄斎を名としたが、百練を戸籍上の名とし、字を無倦、号を鉄斎とした。別号は多い。幼い頃より、国学、儒学、詩文、陽明学や仏教など、幅の広い学問を修めた。20歳頃には、歌人の大田垣蓮月の学僕となっている。絵は、大角南耕に手ほどきを受けるが、小田海僊や浮田一●(いっけい)らを訪ねたり、長崎で木下逸雲らと交流し、明清絵画にも触れるなど、主に独学で修行をはじめた。明治維新後は、奈良の石山神社や大阪の大鳥神社などの神官をつとめながら、「万巻の書を読み万里の路をゆく」文人生活をおくり、全国を行脚。46歳のとき京都に居を定めた。以後、89歳で亡くなるまで、文人生活を貫きながら制作を続け、明清絵画、南画を軸に、大和絵、琳派、浮世絵など日本絵画の多様な表現を、自己の表現のなかに取り込んでいった。さらに晩年期は、明治末、大正期の新しい気風にも反応して、それらを融合した独自の表現をつくりだした。明治19年(1886)京都青年絵画研究所の品評員となるなど、展覧会の審査員をつとめるが、学者としての立場から出品はしなかった。大正6年(1917)帝室技芸員、大正8年(1919)帝国美術院会員となった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)


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小田海僊とは?【 作家名 】

1785年周防(現在の山口県)に生まれる。1862年没する。名は瀛、字は巨海。通称良平、南豊とも号した。下関で育ち、京都に出て、四条派の呉春に師事した。呉春の没後、長崎など九州を遊歴し、中国絵画を学び、南画を描いた。頼山陽、田能村竹田、浦上春琴などの儒者、漢詩人、画家などと交流。文政7年(1824)萩藩毛利家の御用絵師となるが、2年後、修練のため京都居住が許される。『海僊画譜』『十八描法』などの画譜を刊行。晩年は、京都画壇を代表する画家のひとりとなった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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