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すがい くみ 菅井汲
1919年兵庫県に生まれる。1996年没する(神戸市)。本名、貞三(ていぞう)。大阪美術学校を中退し、阪急電鉄の宣伝課で商業デザインに携わる。吉原治良に油彩画を学んだ後1952年渡仏し、以来パリで制作。美術研究所グランド・ショミエールに通いゴエルグの指導を受ける。1954年藤田嗣治と2人展を開催。以後ヨーロッパおよびアメリカ各地で個展を開くとともに数多くの国際展に出品。1959年頃から、日本の土俗的モチーフを不定形なフォルムで表わした作品を発表し、61年日本国際美術展で優秀賞を、翌年のヴェネチア・ビエンナーレ展でデイヴィッド・ブライト基金賞を受賞。1965年にはサンパウロ・ビエンナーレ展で国際最優秀作家賞を受賞。この頃から、ハイウェイの道路標識を主題とした明快な色彩と形態の抽象表現に転じ、現代の都市生活を反映したダイナミックな空間表現が評価される。また版画の分野でも、東京国際版画ビエンナーレ展、リュブリアナ国際版画展など各国の版画展で受賞するなど活躍。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
鏑木清方とは?【 作家名 】 1878年東京都神田に生まれる。1972年鎌倉市で没する。本名は健一。明治時代の戯作者条野採菊の子として生れ、13歳で水野年方に師事、挿絵画家として明治風俗を情緒ゆたかに描いた。富岡永洗(1864−1905)や梶田半古の影響も受け、日本美術院や烏合会などで認められたが、文展開設以後は官展に出品した。金鈴社を結成、官展に新風をもたらした。帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員となり、昭和29年(1954年)には文化勲章を受けた。明治の面影に限りない郷愁をよせ、文学的教養と都会的感覚によって、清新な芸術味ある風俗画を遺した。代表作は『筑地明石町』(1927)。文筆にも長じ、自叙伝『こしかたの記』(1961)、随筆集『続こしかたの記』(1967)などがある。 |
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