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鳴門



南鴨古祠図



南海観音立像



楠公訓児図



南国



ナンシーアトリエジャンプルヴェ



南城一夫



南泉斬猫



難波田龍起



難波田史男



ナンバー27



ナンバー43



ナンバー45



南仏 ヴァンスにて



南仏のアニス酒「フェリ45」



鳰沼



二月の頃



ニクソン



西常雄



西雅秋


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さたけ とく

佐竹徳(徳次郎)

大阪府大阪市に生まれる。本名徳次郎。大正3年(1914)に関西美術院に入り鹿子木孟郎の指導をうける。同5年上京し、川端絵画研究所に入り、藤島武二に師事する。同6年第11回文展で「清き朝」から初入選。同10年第3回帝展に「静物」を出品し特選となる。その後、昭和4年(1929)第10回帝展で「ダリア」が、翌年の第11回展でも「巌せが特選となり以後無鑑査となる。昭和10年には帝展に不出品を声明。新しい洋画の団体、第二部会の創設に参加する。その時、鈴木竹馬、中野和高伊原宇三郎らと行動をともにするが、帝展の改組後昭和12年からは帝展に無鑑査で出品。昭和15年には新しく創立された創立会に参加し会員となった。戦後は生まれ変わったつもりで画家としての名前を「徳」とし、昭和21年第1回日展で「竹園」が特選。以後日る審査員を数回務める。昭和34年初めて岡山県牛窓町のオリーブ園を訪れ、オリーブの緑に感動し、一旦帰京後、再び牛窓を訪れる。昭和38年、この頃から、一年の大半を牛窓町で過ごすようになる。昭和43年日本芸術院賞受賞。同44年日展理事となる。その後参与の地位は辞退し、現在は顧問。平成3年(1991)日本芸術院会員となる。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年)


カテゴリー:作家
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小堀鞆音とは?【 作家名 】

下野(現栃木県)に生まれる。本名桂三郎。農業を営みながら絵を描いた父や兄の手ほどきを受けた後、明治17年(1884)上京。同年、第二回内国絵画共進会へ出品した作品に対して、川崎千虎が有職故実の問題点を指摘したのをきっかけとして、千虎に入門。土佐派と有職故実を学ぶ。内国勧業博覧会で受賞を重ねた他、日本青年絵画協会、日本絵画協会に参加。東京美術学校助教授となるが、美術学校騒動で辞任。日本美術院創立に参加し正員となる。美術院と日本絵画協会の連合共進会に出品するが、次第に離れていき、日本美術協会に出品することが多くなる。紫紅会、歴史風俗会を設立。明治41年(1908)東京美術学校に復職し、教授となる。文展審査員、帝室技芸員、帝国美術院会員などを勤めた。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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