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しみず とし 清水登之
栃木県栃木市に生まれる。幼少より絵を描くことが得意であった。軍人を志し、士官学校を受験するが失敗。翌明治40年(1907)二十歳で単身渡米し苦学した。その後、大正元年(1912)シアトルにあるフォッコ・タダマの塾に学び、本格的な絵画技術を修得する。更にニューヨークに出てナショナル・アカデミー・オブ・デザインに学ぶが、途中でアート・スチューデンツ・リーグに移り、国吉康雄らと出会う。その間にルネッサンス美術とアメリカのナイーブ・ペインティングに影響をうけた。大正13年には長い間の願望であった欧州へ渡り、パリにアトリエを構え制作を行なった。その後、中国を経て帰国、二科展に出品した。昭和5年(1930)、独立協会創立の際は林武、児島善三郎、高畠達四郎らとともに参加した。戦争中は従軍画家として戦地を描いたが、これ以降の制作の態度は日本の風土や生活を描くことを自らの主要な題材として制作を続けたが、太平洋戦争中に死去した。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年)
カテゴリー:作家
タブローとは?【 美術用語 】 ラテン語で板を意味するタブラ(tabula)に由来する。元来は、西欧美術の板絵のことで、テンペラあるいは油絵具を用いて樫、ぶな、ポプラ、マホガニーなどの木材に描いた作品を示す。14世紀後半から、画枠に張ったキャンバスに描いた作品も含む持ち運びが可能な絵画を指すようになり、建築物に描かれた壁画や天井画と対置して用いられた。額絵(額画)とも訳されるが、紙や地塗塗料が施していない布地に直接描かれた作品は含まない。今日タブローと言うと、出来上った絵画の意味で、作者の思想や構想が画面に組み立てられ完全化されたものを指すことが多い。エチュードなどは含まず、完全に仕上げられた独立した作品を意味する。ただし近代以降、作品の「完成」の概念があいまいとなっており、現代美術に当てはめるには適切でない状況も生まれている。 |
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