ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


セザンヌ、救済院の礼拝堂



せせらぎ−版画集『自然の諸相』第12図



世相三題



セック



石鹸の道d)行為の断片”標的”



石鹸「モンサヴォン」(ジャン・カルリュと共作)



石膏のトルソと花



雪舟坐像



雪中孤鹿、雨中曳牛



雪中芭蕉図



雪後



背中を見せた女



せのひくいおれんじはまんなかあたり



蝉丸



セリュジェ



『セルフポートレート』



セルフポートレート



千秋万歳図



センストレム



「宣誓」に着手した時の3つの手の習作


<前 (85/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


しみず とし

清水登之

栃木県栃木市に生まれる。幼少より絵を描くことが得意であった。軍人を志し、士官学校を受験するが失敗。翌明治40年(1907)二十歳で単身渡米し苦学した。その後、大正元年(1912)シアトルにあるフォッコ・タダマの塾に学び、本格的な絵画技術を修得する。更にニューヨークに出てナショナル・アカデミー・オブ・デザインに学ぶが、途中でアート・スチューデンツ・リーグに移り、国吉康雄らと出会う。その間にルネッサンス美術とアメリカのナイーブ・ペインティングに影響をうけた。大正13年には長い間の願望であった欧州へ渡り、パリにアトリエを構え制作を行なった。その後、中国を経て帰国、二科展に出品した。昭和5年(1930)、独立協会創立の際は林武児島善三郎高畠達四郎らとともに参加した。戦争中は従軍画家として戦地を描いたが、これ以降の制作の態度は日本の風土や生活を描くことを自らの主要な題材として制作を続けたが、太平洋戦争中に死去した。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年)


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

与謝蕪村とは?【 作家名 】

現在の大阪市に生まれる。江戸中期の俳人であり、画家。姓は谷口から与謝に改めた。蕪村は俳号で、画号は初め子漢。晩年に謝寅(しゃいん)とした。二十歳頃、俳諧を志し、江戸に下って早野巴人(はじん)に入門。巴人の没後、いまの茨城県など関東や東北を巡歴し、一七五一年(宝暦元年)、京都に居を結ぶ。丹後(現在の京都府)の宮津での滞在を挟み、以後は京都を拠点に活動した。絵画の面では、明清絵画のさまざまな画法を学び、南画の画法を吸収することで、自己の表現をつくりあげた。池大雅(たいが)とともに日本南画の大成者とされている。

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

与謝蕪村

キーワードを含む記事
2件見つかりました。

  水墨画

  与謝蕪村


<前   次>

徳島県立近代美術館2006