ぐるぐるアートワード
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版画集〈恋人たち〉1. 準クラナッハ選集、“本日休演”による ファースト・ステート



版画集〈恋人たち〉12. …裸にされた花嫁 セカンド・ステート



版画集〈ジャズ〉1.道化師



版画集〈ジャズ〉2.サーカス



版画集〈ジャズ〉8.イカルス



版画集〈聖マトレル〉1.レオニー嬢



版画集〈聖マトレル〉2.テーブル



版画集〈聖マトレル〉3.長椅子のレオニー嬢



版画集〈聖マトレル〉4.修道院



版画集〈石版画集 点より 線より〉5. 線より1



版画集〈ダフニスとクロエ〉9.クロエの接吻



版画集〈ダフニスとクロエ〉11.真昼,夏



版画集〈ダフニスとクロエ〉17.フィレタスの教え



版画集〈ダフニスとクロエ〉41.ニンフたちの洞窟での婚礼の宴



版画集〈ダフニスとクロエ〉42.結婚



版画集〈ドリアン・グレイの肖像〉1. 虹色のスカーフをつけたドリアン・グレイ



版画集〈ドリアン・グレイの肖像〉2. ホース・ランプ



版画集〈響き〉1.赤色の前の二人の騎手



版画集〈響き〉12.即興5



版画集〈響き〉21.騎士の道


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すずき ちくま

鈴木千久馬

福井県福井市に生まれる。明治41年(1908)家族とともに東京に移住。同43年に早稲田大学に入学するが、翌年中退。白馬会葵橋洋画研究所へ通い絵の勉強を始める。大正3年(1914)には東京美術学校予備科西洋画科に入学、同級生に中山魁、中村研一がいた。この頃、小説に熱中、留年し、藤島武二の教室に入った。同10年美校の研究生として中野和高伊原宇三郎らとともに美術学校に残る。同年の第3回帝展に初入選。その後、大正14年第6回帝展で「寝椅子の裸婦」で特選。翌年第7回でも「椅子に凭れる裸婦」で特選、更にその翌年の第8回帝展「四人の女」「椅子による裸少女」で特選となった。昭和3年(1928)渡仏し、病気中の佐伯佑三らに会う。昭和4年帰国と同時に1930年協会会員となる。翌年には初めて帝展の審査員を命じられる。昭和12年東京の新宿に鈴木絵画研究所を開設。この年も帝展の審査員。以後連続して帝展審査員を務める。昭和15年佐竹徳(徳次郎)中野和高ら10人と創元を結成。昭和32年日本芸術院賞、同47年福井県出身者で初めての日本芸術院会員となる。日本のフォービズムの確立、完成を生涯の課題として制作を続けた。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年)


カテゴリー:作家
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キュビズムとは?【 美術用語 】

1907年から08年頃ピカソブラックによって始められた芸術運動。立体派と訳される。それまでの絵画の「視覚のリアリズム」に対して「概念のリアリズム」を主張し、三次元的現実社会の概念を二次元的に翻訳するとともに、絵画を一つの美的存在として結実させることを目的とした。セザンヌキュビズム、分析的キュビズム、総合的キュビズムの各段階に区分される。ルネッサンス以来の写実的伝統から絵画を解放したものとして、20世紀の最も重要な芸術運動の一つと目される。ピカソの〈アヴィニョンの女たち〉がその最初の作品といわれるが、1908年にマチスがブラックの風景画を「キューブ(立体派)」の言葉をもって評したのが名称の起りとなる。代表的な作家としてピカソブラックのほかに、レジェグリス、ヴィヨン、デュシャン、ドローネ、ピカビア、クプカなどの画家があげられる。ほかにアーキペンコアンリ・ローランスなどの彫刻家も参加している。

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