1936年愛知県に生まれる。武蔵野美術大学を中退した後1958年から61年まで読売
アンデパンダン展に出品。1960年には
篠原有司男、
三木富雄、
工藤哲巳らと共に
ネオ・ダダ・オルガナイザーズ・グループを結成する。
ハプニングなどをする一方で、毛布や木綿、セメントなどで作った〈箱〉のシリーズを制作する。1962年に渡米し以後はニューヨークに住む。1963年頃から乳白色の地に図形や記号、言葉を描く〈ダイヤグ
ラム〉のシリーズを制作。1968年には現代日本美術展で大賞を取る。1969年頃から〈意味のメカニズム〉のシリーズを制作。1970年にはヴェネチア・
ビエンナーレに、77年には「
ドクメンタ6」に出品する。言葉をイメージや物のシンボルとしてのみでなく、それ自体自律した描かれる対象としてとらえることは、意味作用とは何か、と問い直すことにもなろう。彼が
コンセプチュアル・アートの先駆者の一人として評価されるゆえんである。2003年紫綬褒章を受章。