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ひかさ かずよし 樋笠数慶
香川県高松市に生まれる。高松第一中学校を卒業後、日本画家を志して上京。郷倉千靭に師事する。昭和16年(1941)第28回院展で「雨季」が初入選。戦後も院展に出品を続ける。昭和20年代の後半頃には、院展内部の同好研究グループの和泉会に参加、メンバーには香川出身の馬場不二や岩橋英遠、森田曠平らがおり、キュービズム、モダンヤートなどを研究し研鑽しあった。昭和31年の第41回展には「夕暉」で奨励賞を、翌年の第42回展では「鵜」が日本美術院賞を受賞。昭和33年の第43回展では「白映」が日本美術院次賞、35年第45回展「華翳」も奨励賞、翌年の推挙された。昭和47年第57回展の「暉晨」で内閣総理大臣を受賞。昭和58年第68回展で「春潮」が文部大臣賞を受賞。その作風は、根底に常に謙虚な自然観照があり、時流に流されない独自の画境を築いていると評価された。「溪」は小豆島の寒霞溪を描いたものであろう。寒霞溪の奇岩は古くから有名であり、春の新緑、秋の紅葉を求めて、大阪を含め、県内外を問わず文人墨客の往来が多かった。地名の由来は古く「日本書記」に遡り、応仁天皇が来島の際に岩山に鈎(かぎ)をかけて登ったことから「鈎かけ」転じて神懸山、その後寒霞溪となったと言われる。「春潮」は昭和58年第68回院展で文部大臣賞を受賞した作品である。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年)
カテゴリー:作家
タルとは?【 作家名 】 ネグリチュードの詩人としても知られた文人大統領サンゴールが打ち出した、新生セネガルの発足に際しての文化振興政策の思想は、アフリカの伝統的な精神をベースにして、西欧近代の物質文明を同化してゆこうというものであった。当時、パリから戻ったばかりのパパ・イブラ・タルは、サンゴールの理想の実現に向けて、ダカールの若い美術家たちを指導し、積極的に助言をあたえるなどした。やがて、これら一群の作家たちをエコール・ド・ダカールと呼び称するようになるのだが、彼らは仮面や神像などの伝統的なモチーフをキュビスムの手法を取り入れて、半抽象の様式で描くことに活路を見いだした。1966年、ダカールで開かれた第一回世界黒人芸術祭で、エコール・ド・ダカールは華々しく登場することになる。パパ・イブラ・タルも、この時にイバ・ンジャエによって企画された〈現代美術−傾向と対峙〉展に出品している。ここではエコール・ド・ダカールの第一世代の美術家たちがどのような顔ぶれであったのか、よく知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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