ぐるぐるアートワード
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平福百穂



平山郁夫



ヒルシュフェルトマック



広島晃甫



広田多津



広場にて−『エスタンプ・モデルヌ』誌より



日和崎尊夫



■民食瓜図



ビエンナーレ



ビゴー



ビショッフ



美術雑誌「版画とポスター」(レスタンプ・エ・ラフィシュ)



美人(冬の夜更)



ビソネット



ビッグガングセイゾウガイシャ



ビデオ・アート



ビデオ「大久保英治 四国の天と地の間-阿波の国から歩く」



ビニェット(髪を垂らした女の顔)



ビニェット(2人の少女の頭部)



ビニェット 2点(兎と鳥)


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ひらやま いくお

平山郁夫

広島県豊田郡に生まれる。昭和27(1952)東京美術学校日本画科を卒業。以後、前田青邨に師事する。昭和28年には第38回院展に出品した「家路」で初入選。昭和36年第46回院展出品の「入涅槃幻想」で日本美術院賞・大観賞を受賞する。昭和39年日本美術院同人となる。昭和51年には第8回日本芸術大賞を、昭和53年第63回院展では「画弾院青邨先生還浄図」で内閣総理大臣賞を受賞。昭和48年には東京芸術大学教授となり、平成2年から学長に就任。制作には中央アジア、インドなどを訪れ写生、取材を重ね、シルクロードや仏教の伝来をテーマとしてスケールの大きな作品を発表し高い評価を得た。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年)


カテゴリー:作家
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前田青邨とは?【 作家名 】

1885年岐阜県に生まれる。本名廉造。1898年(明治31)に上京し、1901年から梶田半古に師事する。1902年第12回日本絵画協会・日本美術院連合絵画共進会に入選して、3等褒状を受賞する。1906年に巽画会に参加、ついで翌年に紅児会に入会し、研鑽をつむ。1908年の国画玉成会展で3等賞首席を、11年の第5回文展では褒状を受ける。1913年(大正2)紅児会が解散したのちは、翌14年の第1回再興日本美術院展に出品し、同人に推挙される。以後、再興院展を主な活動の舞台とする。1922年に日本美術院留学生として小林古径とともに渡欧し、イタリア各地やパリ、ロンドンなどで西洋美術を研究する一方、大英博物館で伝顧?ト之の〈女史箴図巻〉を模写して、東洋の古典美を深く認識した。1935年(昭和10)帝国美術院会員、37年帝国芸術院会員、44年帝室技芸員となる。1947年日本芸術院会員、51年東京芸術大学教授、55年文化功労者となり、同年文化勲章を受章した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)

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